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向き合い方が間違っていたということ

誠意を持って対応したことを無碍にされたことに対して精神的に滅入ってしまったのは、まだ何かを今の職場に対して期待しているということなんだろうか。それとも、今回の件で起こりうる最悪の事態を想定して悲観しているだけなのか。それともこれが中間管理職(名ばかり管理職だけれど)の悲哀という奴なんだろうか。在籍期間が長くなればなるほど「相談も頼りになる人もいない」中で新しい経験を積み重ねているのは、何の皮肉か。これまでも「相談も頼りになる人もいない」なかで新しい経験に向き合ってきたけれど、これまでとは質が違う。法律や明確な責任問題が絡んでくることなので、ちとキツイ。

社会が不安定な時期には人の資質や本質が顕著になってくる。その被害を受け精神的に滅入ってしまったけれど、かなり吹っ切れたことも事実なわけで。吹っ切れた度合いは精神的に滅入った状態を「10」とするならば「3」くらいだけど。

人は人生の道程の中で「自己の権利」を主張し、その権利を少しでも行使(実現)させようと日々奮闘するもの。その中でお互いに譲れないものは譲らず、譲れるものがあれば譲りあうものだと思う。その中で実現に至らなかったものがあれば「申し訳ないな」の一言があったりして、救われたり次に向けて頑張っていこうとするものなんだと思う。そうやって組織や集団、社会や国家、世界は成り立っているものなんじゃないだろうか。そんな甘い考え方を持っているから、誠意につけ込まれてしまい精神的に滅入ってしまう結果を招いてしまったのかもしれないけれど。

ここが自分らしさでもあり、自分の弱いところでもあるのだろう。

時代が変わっても変わらない価値観、変えるべきではない価値観がある。それをどのように受け止めるのかは100人いれば100通りの受け止め方があると思う(ざっくりとまとめれば2~3通り程度になるとは思うけれど)だから、格差や差別はなくなることはないと思っています。しかしながら、その差は小さくしていくことはできるはずだとも思っています(40歳も過ぎて青臭い考え方なのかもしれませんが)けれど、格差や差別はなくならずその差を小さくしていくことができないのは「権利を主張してきた人間に直接相対さなければならない人間のことを考えずに、自分の権利だけを主張し続ける」からなんじゃないのかなってなんとなく思うのです。直接相対さなければならない人間にも権利があって人権があってその人は自分のことも守らなきゃいけないんですけどね。「相対さなければならないから当然のことだ。貴方のことまでは知らない。私は私の権利の行使の方が大事だ」と言われればそれはその通りだと思いますが、間に立たされることになる人間のことも考えずに権利を主張するような人がいるから、「格差や差別をなくそう、格差や差別を小さくしていこう」とする人間が現れないんじゃないかなってなんとなく思う次第。

相手のことを思いやれない人間の話を聞こうとするでしょうか。いいえ、聞こうとしないと思います。年齢、性別、世代、立場、地位を問わず人は誰しもがそんな反応を示すものなんじゃないのかなって思います。人間とはそんな生き物なんじゃないかと。

だからこそ、そんな風になりたくなくて少しでも誠意を示して対応したのだけれどそれを無碍にされてしまったのが残念でならない次第。

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