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渋沢敬三の主宰していたアチック・ミューゼアムの意外な来訪者

 先日、民俗学研究者・澤田四郎作の日記の翻刻もされている磯部先生のTwitterで渋沢敬三が運営していたアチック・ミューゼアムの来訪者リストがウェブで閲覧できるということを知った。

この来訪者リストは以下のページより閲覧ができる。

この来訪者リストは、アチック・ミューゼアムの例会の日付とその際の参加者が記載されているが、リストを確認しているとアチックと関連があったとよく言及される人物、私の知らない人物が混在している。この中に私にとって意外な人物の名前が確認できた。リストによると、昭和4年7月5日例会、9月25日例会、10月29日例会、12月18日納会、昭和5年3月10日例会、9月9日例会にヨーロッパ史の研究者・上原専禄が参加している。上原専禄は、中世ヨーロッパ史や晩年の仏教の研究で知られている。アチック・ミューゼアムの関係者は、民俗学や人類学に関係している人物、渋沢栄一の伝記資料編纂や実業史の資料の整理に関係していた経済史の研究者が多かったが、上原はいずれにも当てはまらないように思われる。上原は一見すると民具の蒐集や漁業史の研究を中心に行っていたアチック・ミューゼアムと異なった関心を持っていたと思われるが、一時期共通の関心を持っていたのだろうか。上原がどのような関心でアチックの例会に参加していたのか、また、昭和5年9月9日以降の例会に参加しなくなった理由は気になるところである。

 ちなみに、渋沢と上原の交流はアチックでの交流以外もあったようだ。ウェブで閲覧できる「渋沢敬三アーカイブ」の以下のページによると、渋沢と上原は、1949年に国会に提出された「史料館設置に関する請願」に署名している。両者の交流は研究活動の領域だけでなく、社会的な活動の領域でもあったようだ。

 上原よりは意外な人物ではないかもしれないが、来訪者リストの中では、北野博美が昭和5年3月10日の例会に参加している。以下のブログによると、北野博美は性に関する研究や雑誌の編集、郷土芸能の研究を行っていた人物であるようだ。ウェブ上で閲覧できる渋沢の年譜によると、渋沢は1930年に自宅で三河の花祭りの実演を行っているが、郷土芸能にも関心を持っていたと言えるだろう。北野と渋沢はこの点で関心を共有していたのかもしれない。なぜ北野が昭和5年3月10日の例会にのみ参加しているのかは気になるところだ。



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