見出し画像

忘れられた人物の記録を読むこと、つくること―『問題の女 本荘幽蘭伝』平山亜佐子さんを読んで

 先日、『問題の女 本荘幽蘭伝』平山亜佐子さん(平凡社、2021年)を読み終えた。本書は、新聞記者、保険外交員、ホテルオーナー、女優、活動弁士、講談師などの職を転々、120人以上の交際相手を持ち、日本列島各地、中国大陸、台湾、朝鮮半島などで活動していた本荘幽蘭というひとりの女性の生涯を記録した評伝である。私は本書を読みながら、自由奔放、波乱万丈な生涯を送った彼女は一体何を考えて生きてきたのかと考えた。今回の記事を投稿する前に本書の書評をいくつか読んだが、本荘の生き方を現在の問題意識と関連させようとしているものもあった。しかしながら、このように本荘の生涯に何らかの目的や問題意識を求めることは正しいのだろうかと考えるようになった。本書のあとがきでは以下のように本荘の生涯を記録することに関して以下のように述べられている。

本書は、こんな女性がいたというそれだけの本ではある。(中略)幽蘭を追うことで明治・大正・昭和のひとつの見取り図、裏面史が見えてはくるが、肝心の幽蘭本人はといえば、実は何も成していない。こんな人は教科書に載らないし、大河ドラマの主役にも選ばれない。国家や社会に、あるいは科学や文明の発展になんら寄与していないからだ。では、何も成していない人の人生は見るに値しないのであろうか。いや、そんなはずはない。何も成していない人の評伝があってもいいではないか。人生とは、何かを成すことで完成するものではなく、一瞬一瞬の積み重ねである。それをいまあらてめて教えてくれるのが本荘幽蘭であり、何かを成し得た人間ばかりを追いかける現代に、彼女が提起してくれる問題だと筆者は捉えている。

P332より

私たちが普段読んでいる評伝で取り上げられる人物は、その活動や思想が様々な記録(テキスト、証言、映像など)として残されている場合が多く、その人物の生涯にある目的があり、多くの人々が同じであるのではないかと考えてしまう。しかしながら、著者が述べているように多くの人々の人生に明確な目的があるわけではない。私もささやかながら忘れられた人物の記録を作成したことがあるが、記録が断片的になってしまう彼らの人生を記録することは困難がともなう。たとえば、本荘の没年は不明であるようだ。人物事典や評伝を読んでいると、生没年が分かることがあたかも当然であると思いがちであるが、忘れられた人物の生没年が不明ということはめずらしいことではない。(注1)
 
 私が今まで読んできた評伝とは異なる本書の独特な記述のスタイルもその困難さの表れであろう。各章が断片的であり、章間のつながりがよく分からない場合がある。ひとつひとつの章がまるでブログの記事のひとつひとつであり、それをつなげたような印象を受ける。一見するとまとまっていないように思われるが、本荘のような人物を記録するのであればこのように断片的にならざるをえないからであろう。ここに著者の苦心や工夫を読み取ることができる。

 また、登場人物の多さも本書の特徴のひとつである。本荘の交流関係が広かったということもあるが、私が今まで読んだ評伝と比べると登場人物が多いように読めた。忘れられた人物を調べる方法のひとつは、その人物と交流のあった人々の記録を調べることになるので、著者が本書に登場した多くの人物の周辺を調べたと考えると、本書に登場した人物の多さ=調べることの困難さであると想像する。ここにも著者の苦心や工夫、忘れられた人物の記録を作成することの困難さが感じられる。

 上述した本書の独特な記述スタイルは評伝を読みなれた方々にとって違和感を持つものであるかもしれない。それは私も例外ではなかった。しかしながら、本荘のような忘れられた人物の記録をつくることの困難さを考えると、本書を読んだ時の違和感は私たちが読みなれている「評伝」が様々な条件のもと成立している特別な本であるということに気づかせてくれる。本書を読むことで、上記に引用した著者の「何も成していない人の人生は見るに値しないのであろうか」という重要な疑問に対して考えざるをえない。

 最後に本書で取られた調査方法に関しても触れておきたい。あとがきによれば、著者は本荘の出没した地域の情報を得ると時期を推測してその場所の記録を閲覧しに行ったという。著者は沖縄、台湾にも調査に行ったようだ。筆者のこのような本荘の足跡を求めて各地に資料を調べていく姿勢は、ささやかながら同じようなことをしている私にとっておおいに参考にさせていただきたい。

(注1)余談になってしまうが、私の調べていた人物も生年を特定するまでには至らなかった。

(2022/5/6追記)著者の平山さんより本荘幽蘭に関する調査は現地に行って新聞を閲覧したのではなく、国会図書館でその地域の新聞を閲覧したことをご教示いただいた。この場合も調査することに対する困難さが伴うことに変わりはないので、平山さんの姿勢は参考にさせていただきたい。

よろしければサポートをよろしくお願いいたします。サポートは、研究や調査を進める際に必要な資料、書籍、論文の購入費用にさせていただきます。