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大阪温古会について

 高木敏雄・柳田国男が発行していた雑誌『郷土研究』第2巻第3号に以下のような記事が掲載されている。

大阪温古会 此二月から大阪に此会が出来た。出口藤里などゝ云う諸君が骨を折って居られる。東京の民俗学会と兄弟の間柄であると云う。早く成長して好事一遍の物知連と交代して貰いたい。仲間が学者で無いと、兎角ありふれたことまで人に語らねばならぬことになるから、是非とも学者たちのみ結社をして貰う必要がある。(筆者により現代仮名遣いにあらためた。)

 上記に登場する出口は以下の記事で紹介したことのある出口米吉、藤里は藤里好古である。民俗学会は以下の記事で紹介した石橋臥波が発行した雑誌『民俗』の発行元の研究会である。

上記から出口が大阪温古会という団体を組織したことがわかる。

 大阪温古会の活動はよく分からないが、ウェブで閲覧できる大阪天満宮社報『てんまんじん』第62号(2012年)の和住香織「大阪天満宮の珍客 フレデリック・スタール」によれば、大阪温古会で1917年にお札博士・フレデリック・スタールを招いて講演会を行ったという。上記の引用箇所には「是非とも学者たちのみ結社をして貰う必要がある」と述べられているが、土俗趣味にも通じているスタールや出口が関わっていることから大阪温古会が「学者たちのみ」で構成されていあたかは疑問である。大阪温古会には、どのような人物が集っていたのだろうか。

 余談になるが、上記に引用した『てんまんじん』によれば、藤里好古の本名は藤里喜一郎で大阪天満宮の嘱託として働いていたようだ。この人物も気になるところだ。

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