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『日本の思想』「思想のあり方について」丸山眞男のメモ

 『日本の思想』(岩波新書、1961年)の「Ⅲ 思想のあり方について」は、研究者が自分の専門としている領域を超えて交流があるか、専門領域の間に共通の知の基盤があるかを「タコツボ型」と「ササラ型」というよく知られた例を挙げて論じている部分がある。ここで丸山は社会科学と自然科学の連帯がないことを課題としている。丸山のこの問題意識の背景には、1930年代後半の状況の繰り返しになってしまうのではないかという現実の状況があったのではないかと思われる。

 前章である「Ⅱ 近代日本の思想と文学」の後半で、1930年代後半にファシズムに抵抗するため国際的に知識階層の連帯が行われたが、日本では文学者と自然科学者の間に連帯が生まれにくく、その結果ファシズムに飲み込まれてしまったことが指摘されている。「Ⅲ 思想のあり方について」の初出は1957年に行われた講演が初出であるが、この時期の政治的な出来事を確認すると、1956年にフルシチョフによるスターリン批判が行われ冷戦状態の緩和が期待されたものの、同年に第2次中東戦争が起こるなど自由主義陣営/共産主義陣営の対立は継続していた。また、1957年に日本では岸内閣が成立する。このまま自由主義陣営と共産主義陣営の連帯、知識階層の連帯が行われなければ、1930年代後半の再来になってしまうのではないかという危機感を丸山は持っていたと思われる。このことはⅡとⅢのつながりを考えている時にⅡを読み直していて気が付いた。それ以前、私は以下の記事で紹介したようにIIをひとつの転向論として読んだ。


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