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戦後に発行された艶本書誌研究誌『稀書』

 『稀書』という雑誌が私の手元にある。戦前には梅原北明の発行していた『グロテスク』を代表例としたエロ・グロ・ナンセンスな雑誌やその書誌的な研究を行なっていた雑誌が多く発行されていたが、今回紹介する『稀書』は戦後に発行された艶本の書誌的な研究を主に行っていた雑誌である。古本即売会でまとまった冊数(9冊)を購入したので以下に写真を掲載しておきたい。写真は第一冊である。

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1952年1月発行で発行者は芋小屋山房、森山太郎である。森山太郎は『出版文化人物事典』稲岡勝監修(日外アソシエーツ、2013年)に立項されているので、以下に引用する。

森山太郎 芋小屋山房主人 生没年不詳 江戸っ子で戦前は吉川英治の書生、新聞記者だったともいうが不明。中国語に堪能で東方社にいたとも自称していた。昭和21年浦和在住時、同地の稲村徹元と知り合ったのを縁に書誌学の大家であった斎藤省三の知遇を得、同年末頃から阿の会、稀覯文献研究会などを組織して江戸艶本の復刊・頒布を行った。(中略)斎藤「新富町多与里」(25年)といった図書の特殊装丁で趣味界に有名となる。27年から会員頒布誌『稀書』(第一組合稀覯文献研究会)を中心に活動するも、次第に資金繰りに窮するようになり、35年頃に失踪した。(後略)

森山は艶本の復刻、『稀書』の発行だけでなく、本の装幀でも知られていたようであるが、生没年や戦前の経歴の詳細が不明と謎の多い人物である。そんな謎多き森山が発行していた『稀書』の創刊の辞を部分的に以下に引用してみたい。

(前略)日本ではそれ程知られていなかったものが、外国で紹介されて、始めて有名になったというような例も相当にある。思えば情けない話である。/ 我国の艶本その他の風俗資料や重要な記録などでも、何等の保存も記録も残さずに、やがて散佚の運命にあるものが尠くない。然も之等に対して只秘事と云ふ事のみで敬遠されていることも、真面目に考えてそれが日本の文化に大きな役割を果す事を思えば、敢えて現状に黙し難いところがある。/ 然も戦後既に数年を経て今猶カストリ誌でもあるまい。多くの読者は必ずやもっともっと真剣に高い所を希望しているに違いないし、純粋な文献的研究資料誌が最早一つ位は出てもよさそうである。本誌はその要望を擔って茲にささやかながら雄々しき産声を挙げたのであるが、戦前にも見られなかった高き水準を持つ得難き研究誌として、今後諸彦と共に新らしい生成発展を希うものである。(一部を現代仮名遣いにあらためた。)

上述のように書誌の研究や貴重な資料の紹介がこの雑誌の主な目的である。この雑誌へ斎藤省三、岩崎準一、江戸川乱歩、藤澤衛彦、宮尾しげをなど戦前から書誌や性に関する研究をしていた人物が投稿している。『稀書』の目録は雑誌記事索引集成データベース「ざっさくプラス」には採録されていないが、私も度々参照している以下の「閑話休題XX文学館」というWebページより閲覧できる。このWebページによると、第10冊まで刊行されていたようである。

第一冊の中に「當世ニゼ本つくり」千里巖という文章が収録されているが、個人的には当時の出版の裏事情が分かるようで非常におもしろかった。あらためて上記のWebページを調べていたらこの文章を詳細に解説したページを見つけたので以下に紹介しておきたい。

ところで、『稀書』でなく閑話休題XX文学館様の紹介になっているような気がするが。。。

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