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「近代的思惟」丸山眞男に関するメモ

 『戦中と戦後の間』丸山眞男(みすず書房、1976年)に収録されている「近代的思惟」という文章が興味深い。丸山自身の解説によると、この文章は文化会議というグループの機関誌として発行されたザラ紙、謄写版刷りの「文化会議」に掲載されたもので、丸山が復員してから最初に発表した文章であるという。この文章は丸山が戦後に活動を始めるにあたっての方針の宣言のように読むこともできるので、以下に興味深い点を引用してみたい。

我が国に於て近代的思惟は「超克」どころか、真に獲得されたことすらないと云う事実はかくて漸く何人の眼にも明らかになった。従って嘗てのやうに我が近代精神史の研究に当って先づこの基本命題を口を酸っぱくして説明する必要は差し当り大いに減少したと云へる。しかし、他方に於て、過去の日本に近代思想の自主的成長が全く見られなかったいふ様な見解も決して正当とは云へない。(中略)現在の様な打ちひしがれた惨憺たる境涯は絶好の温床であるが、それは国民みづからの思想する力についての自信を喪失させ、結果に於て嘗ての近代思想即西欧思想といふ安易な等式化へ逆戻りする危険を包蔵している。かうした意味で、私は日本思想の近代化の解明のためには、明治時代もさる事ながら、徳川時代の思想史がもつと注目されて然るべきものと思ふ。(後略)(筆者により一部を太字にして現代仮名遣いにあらためた。)

丸山は敗戦により今まで常識とされていた皇国主義や国家主義的な思想が失われたことで、日本の歴史の中で形成された思想は悪いもので西欧の思想を良いもの考えられ西欧の思想の受容一辺倒になる可能性に懸念を持っており、日本の思想の中に「近代思想の自主的成長」を検討する必要があるのではないかという問題提起を行っている。ここには以下の記事でも紹介した日本の歴史の中から近代的な思想や思想家を探求するという丸山の態度が継続されている。

 戦後、丸山は鶴見俊輔の主宰する雑誌『思想の科学』の創刊メンバーとなったが、丸山の「近代的思惟」で述べられている日本の歴史の中から近代思想の可能性を検討するという姿勢は鶴見と共通する部分である。『自由について 七つの問答』丸山眞男(編集グループ<SURE>、2005年)に収録されている鶴見の解説によると、鶴見は戦争末期にはじめて丸山の文章を読んだというが、この部分に共感を持ったことも丸山を『思想の科学』に誘った理由のひとつにあるのだろう。

 余談だが、『戦中と戦後の間』を読み進めているのは、以下の記事で紹介しているように『日本の思想』丸山眞男の読書会を企画していることも理由なので、関心のある方は問い合わせてみて欲しい。


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