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謎の労働運動家・藤井悌の出身地と経歴・補遺

 先日謎の労働運動家・藤井悌に関して以下の記事を投稿したが、その後いろいろ調べて追加で分かったことがあるので、補遺という形で紹介していきたい。まずは藤井のヨーロッパ滞在の期間と理由だが、藤井の著書である『ナポリの浮浪児』(人文会出版部, 1927年)のはしがきに「1922年から1923年にかけてヨーロッパ・アメリカの諸国を遊歴」とあるので、この期間に海外へ渡っていたことが分かる。渡航の理由も留学でなく旅行であったようだ。

 次に藤井の経歴に関してだが、国立公文書館のデジタルアーカイブで調べてみると、藤井は1918年に内閣軍需局に異動になる前には農商務省特許局に在籍していたことが分かった。(資料名:特許局事務官兼特許局審理官藤井悌外五名任官ノ件、請求番号:任B00844100、件名番号:010)このことは、当時の国家官僚の所属をまとめた大正7年(1918年)発行の『職員録』(印刷局)で、藤井の所属が農商務省特許局になっていることからも確認できる。しかしながら、同じく大正5, 6年発行の『職員録』では、私が確認した限りでは農商務省の欄に藤井の名前を確認できなかった。おそらく、商工局と特許局の間に1916, 1917年に所属していた官庁があるだろうが、詳細は分からなかった。

 最後に、同じく国立公文書館のデジタルアーカイブでは、藤井が休職していたことが分かる資料も閲覧できる。「国勢院書記官藤井悌休職ノ件」(請求番号:任B00926100、件名番号:036)から、1920年5月に休職したことが分かる。『戦前期日本官僚制の制度・組織・人事』秦郁彦(東京大学出版会, 1981年)では、1920年に藤井は退官したことになっているが、実際は退官でなく休職であったようだ。その後、「休職書記官藤井悌退官賜金支給ノ件」(請求番号:単02277100、件名番号:033)が1922年1月に発行されており、このタイミングで最終的に退官したことが伺える。以上、その後調べてみて分かったことをつらつらと紹介してみた。

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