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古本市で見つけた平凡社編集・馬場一郎宛書簡

 先日の以下の記事に引続き東京都の古書即売会(愛書会)で購入したものの話。いつものように紙物が入れられた箱を掘っていると、馬場一郎という人物の書簡を見つけ、住所に書かれた平凡社という名前にひかれて購入した。馬場一郎のことは知らなかったが、出版人の中では有名な人物であったらしく、拙noteでも度々お世話になっている『出版文化人物事典 江戸から近現代・出版人1600人』(日外アソシエーツ、2013年)に立項されていた。以下に引用してみたい。

馬場一郎 ばば・いちろう 青人社社長 平凡社常務
(生年月日)生年不詳
(没年月日)平成5年(1993年)4月20日
(出身地)三重県久居市(津市)
平凡社で月刊誌「太陽」の4代目編集長を務め、別冊「太陽」も創刊。昭和56年同社の経営危機に際して常務編集局長を最後に退社、同時に辞めた嵐山光三郎、筒井康彦、渡辺直樹らと学習研究社の後援を得て青人社を創業した。同年季刊誌「四季の手帖」、57年嵐山を初代編集長に月刊誌「ドリブ」を創刊。筒井、渡辺ら歴代編集長の力もあって徐々に部数を伸ばし、社も伸長したが、没後に「ドリブ」は休刊、11年社も倒産した。


馬場は「太陽」の編集長もつとめたことのあり、最終的に平凡社の常務にもなった人物であることが分かった。書簡の内容は様々な人物からの馬場への御礼や年賀状であり、以下が送付した人物である。少し調べてみたが、有名な写真家の方々であるようだ。

富山治夫 芸術選奨文部大臣新人賞受賞の御礼 1981年4月13日受信
入江泰吉 「大和路」展見学、レセプションパーティ出席の御礼 1977年5月20日受信
並河萬里 年賀状 1971、1972年
藤本四八 年賀状 1973、1983、1989年
石元康博 年賀状 1972年

ところで、上記に引用した文章には記載されていないが、以下の記事によると馬場は『断絶』という文芸同人誌の発行に尽力していたという。馬場は商業出版だけでなく、同人誌の出版を通して同人文化を支えた人物でもあったようだ。


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