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嫌われそうなことは早めに言っておこう

私が『セレマ学院』を始めた理由は固定ページやプロフィールにも書いているが、それは前向きな理由だ。
しかし別の理由もあって、今回はそのことを書こうと思う。
これは人によってはネガティブなことと取られたり、反感を買うかもしれない。
だからまだフォロワーも少なく、嫌われてもダメージの少ないうちに書いておきたい。
だから今回は文体も普段とは違えている。

芸術系の情報発信はつまらない

ブログなどで学問的というか、真面目なジャンルの情報発信をしている一般の方は多い。
歴史や文化関連が多いが、数学や言語学に関するものも見てみると面白いものがいろいろある。
専門の研究者でもないのに詳しくご存じで、私も楽しく読ませていただいている。
芸術系もかなりの数があるのだが、私個人の感想で言うと、他のジャンルと比べて“つまらない”ものが多いように感じてしまう。

既に地雷を踏んだ気がするが、話を続けよう。

芸術系の情報発信がつまらなく感じるのには理由があるのだ。
一つは私もこだわりのあるジャンルなので、つい厳し目に見てしまうのかもしれない。
しかし最大の理由は他のジャンルとは違って感想が主体となりがちなのだが、これがややもするとつまらないものになってしまうのだ。
「個人の感想なんだから面白く書く必要なんか無いじゃないか」と言う人もいると思う。それはその通りだ。
しかし「それって書く必要ある?」と思えるようなことを書いて、それを“情報発信”とされていたら、私なら残念だなと思う。

このことは舞台音楽(オペラやバレエ)に関するネット上の『語り』で特に感じる。
そこでここではそうした音楽について述べてみたい。

よくある観劇レポート

例えばオペラ観劇レポートみたいな記事があるとしよう。
「主演の○○は張りのある素晴らしい歌声で、大いに観客を沸かせていた。」とか、
「今回のお目当てはヴィオレッタ役の○○様。彼女の生の声が聴けて本当に感動しました!」
他にもいろんなパターンがある。オペラばかりではなく、バレエや演奏会でも。
そうした感想を読んで、私たちは何か得るものがあるのだろうかと思う。

それでも海外の舞台なら興味が湧かないことも無い。
しかし国内でのオペラの報告の場合だとまるで“御用評論家”が書いたみたいな、絶賛観劇(感激?)ルポみたいなものが目立つ気がする。
そして明らかに特定のキャスト“推し”なのが見えてしまったりすると、私は冷めた気持ちになってしまう。

(ちなみに私は国内でのオペラ公演にはどうしても厳しくなってしまう。オケの演奏にパッションが無く、歌手は歌唱力はともかく演技力不足だ。演出は凡庸か、逆に理解に苦しむようなものが好まれるように感じる。
日本人のオペラに関する演技力事情で共感できる記事があったので、参考までにご紹介させていただきたい。)

具体的に魅力を語らないと有益とは言えない

もちろん批評家ぶって一般人がプロの仕事を批評するのは出過ぎたことだと思うし、私も普段はやらない。
逆に感想しかない記事があってもいいし、“上品なところに行ってきました”的な記事だってあってもいいと思う。
ホテルのアフタヌーンティーに行ってきたのをインスタに上げるみたいな。
しかしクラシック音楽、特に舞台系のネット情報が簡単な感想ばかりであれば、私はとても残念だ。クラシック音楽のポテンシャルはそんなものではない。

音楽に関する語りが感想メインになるのは、音楽そのものが抽象的であるからだろう。
しかし舞台音楽には物語があり、具体性がある。
それどころか舞台上にはそれを演技している歌手やダンサーがいるのだ。
少なくとも感想以外にも語られるべき“何か”はあるはずだし、それを語らないことには舞台音楽の魅力を伝えることはできないのだ。

感想だけでも面白がってくれる人はいると思うが、やはり人は自分に有益でないものには関心を持たないものだ。
ならばもしオペラやバレエ音楽のファンを増やそうという目的があるならば、何がどういいのかを具体的に理解してもらえるような『語り』がもっと必要なはずなのだ。

芸術の魅力を伝えることの難しさ

私が『セレマ学院』でやりたいことは芸術のハードルは下げずに、新たに興味を持ってくれた人にそのハードルを越えるお手伝いをすることだ。
芸術は間違いなく最高にエキサイティングな娯楽だと私は信じているが、その魅力は「ハードルの高さ」にある。
日常を越えた先により高い価値のある世界を見出すことが芸術を楽しむ醍醐味なのだ。
だから私は芸術のハードルを下げることはしたくない。
わかりやすさを最優先にはしたくないし、「面白かった」「楽しかった」だけでその魅力を語った気になるのも嫌なのだ。

しかし芸術の最終到達点は確かに「感動」である以上、その魅力を伝えようとするとどうしても情緒に訴える必要がある。
それを私は動画ではなく文章で伝えようとしているので、相当難しいことをやろうとしているのだと思う。

わかりやすい説明にしたら伝わるのか?

「あなたみたいにくどくど説明されても難しいだけだよ。」というご意見はもっともだ。
でも芸術の魅力を伝えるのに“難しい”部分を取り去ったり、大衆的な面白さを加味したりするのは間違いだと思うし、予備知識を否定する人も楽しみ方を知らない人だ。
ワインの魅力をわかってもらうためにアルコールを抜いたり、ジュースで割ったりするのは何か違うということは皆さんわかることだとだろう。
ワインに対する知識もワインを楽しむ要素として重要であることもわかってもらえると思う。
芸術も同じなのだ。

ちなみに著述家・プロデューサーの湯川玲子さんがすごく頷けるお話をされている動画があるので、ここでご紹介しよう。
「クラシックって身近な音楽ではないです」とバッサリ。
そこでいかにして魅力に気付いてもらえるかについて語られている。

芸術の魅力を私なりに伝えるには

芸術作品を鑑賞しようとするとき、私なら背景にある知識は持っておくことをお勧めする。
知識をひけらかす人への反動なのか知識を無用のものと考える人もいるが、知識は決して邪魔にはならず、むしろ作品への理解を助けてくれるだろう。
ただし私からはその辺の説明は控えて、Wikipediaへのリンクを埋め込むにとどめる。
もっと適切な説明は他にあるし、私も素人なので正しい知識は然るべきところで仕入れてほしい。私は基本的なことはWikipediaで良いと思う。

私が注力したいのは作品に魅力を感じ、それに感動するプロセスを伝えることだ。
もちろんそれは「セレまさ流」でしかない。
しかし私が感動を皆さんに真摯に伝えるには、今のところそのやり方しか思いつかない。
そのプロセスをなぞるような説明の仕方だから記事が長くなってしまうのだろう。

感動を理性的に伝えようとするのは本当に難しい。
だから多くの人がそれには成功してこなかったのではないかと思う。
でもそれで諦めてしまったら結局芸術の魅力はいつまでも理解されないままなのではないかと勝手に心配している。
そのくせ私もつまらない記事をしばらくは書いていくだろうが、そこは日々鍛錬を重ねるしかない。

(ここから敬語)
というわけで、ネガティブなことは先に話してしまおうという記事でした。
悪い例に挙げたような感想を書いている人もご本人は真面目に書かれているでしょうし、そこを否定するつもりはありません。
ただ私は私にとっての理想の姿を目指していきたいという思いを語っておきたかったわけです。
『セレマ学院』の思いのポジティブなところは以下の記事に記していますので、こちらも読んでいただけると嬉しいです。


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