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イタリアで人種差別され、ちょっと凹む。

ヨーロッパに行ってきた。
スペイン→イタリア→フランスを9日間で周遊するツアーだ。

3日目の夜、ローマの街を1人で散歩していた時のこと。

前から家族と思しき3人組が歩いてきた。
20代前半くらいの娘さんと、50代くらいの両親。
仲睦まじそうに談笑しながら歩いている。

家族3人で夜ご飯を食べに行ってその帰りかな?
なんて幸せな家族だ、とほっこりしていたら。

すれ違う瞬間に、身長2mほどの父親がこちらに体を向け長い腕を伸ばしてきた。

危険を感じ振り返ると、父親はものすごい形相でこちらに向かってきている。

次の瞬間、僕は自分の耳を疑った。

“F××k chink. F××king yellow”

“くたばれアジア人が。くそ黄色人種め”
こんなような意味だろうか。

今にも殴り掛からんとする雰囲気で向かってくる巨体に身の危険を感じた僕はどうしたかと言うと、
足元の悪いローマの街を全力疾走した

心臓はバックバクだった。

人生で初めて人種差別をされたことによる動揺のせいなのか、久々に全力疾走したことによるただの動悸なのかはわからない。

ホテルに戻った後も長い間動悸は治らなかった。

幼少期をアメリカで過ごした友人が、自身の被差別経験について語ってくれたことで、仲間がいるんだと安心し、やっと動悸は治った。

なぜ父親と思しき男性は差別発言をするに至ったのか。
冷静に考えると、道端で見かけた見知らぬ人を侮辱し短い距離だとしても追いかけるなんて、相当な強い動機がないとしない行動だと思う。

東洋大学社会学部教授である北村英哉氏の編著『偏見や差別はなぜ起こる?』(ちとせプレス)によると、

差別:「ステレオタイプや偏見を根拠に接近・回避などの行動として現れたもの」
(ステレオタイプ:「ある集団に属する人々に対して、特定の性格や資質をみんなが持っているように見えたり、信じたりする認知的な傾向」
偏見:「そのステレオタイプに好感、憧憬、嫌悪、軽蔑といった感情を伴ったもの」)
北村英哉編著『偏見や差別はなぜ起こる?』

らしい。
つまり彼はアジア人に全体としてなんらかの特徴・属性があると認識しており、それを嫌っている。
そしてその特徴が道端で見かけた僕にもあると錯覚し、侮辱してきたと考えられる。

このような差別プロセスには、「思考の効率化のために全体の傾向を個に当てはめる」という人間としては当たり前の癖が潜んでいると思う。

その癖は何も人種差別だけでなく、日常生活の中でごくごく普通に耳にする「男はこういう生き物だ」とか「一人っ子はこういう特徴がある」みたいな発言にも現れている。

今回の被差別経験で改めて得た教訓は、
自分はある集団の全体としての傾向を個人に当てはめないようにしよう
という至極当たり前のことだ。

確かに1人1人の特徴を個別に一から把握することは労力のいることだが、それでも全体としての傾向をその人に当てはめて不快な思いをさせるよりはよっぽどいい。

平均は個々の特徴を意味しない

このことを忘れずにフラットな視点で人と関わっていきたい。

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