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新卒入社した会社を辞めることを告げた時の周囲の反応3選

今度の1月で新卒入社した会社を退職する。入社から1年10ヶ月での退職。一般的には早いのではなかろうか。正確な統計データは知らないが、「どんなに辛くても3年は辞めるな」という言説は未だに新卒社会人においても支配的な言説である気がするし、実際に多くの業界・業種の採用においては、候補者の職歴を参照し、その人がジョブホッパー的特性を持っていないかは気にするポイントなのだろうから、このような社会においては「1年10ヶ月での退職」はかなり早い方の部類に入るのだろう。

この記事では、退職することを告げた時の周囲の反応に触れながら、私の人間性や短い会社員人生を振り返りたいと思う。

反応①「やっぱりな」
この反応がダントツで多かった。「やっぱりな」「やっと辞めたか」等の反応に始まり、しまいには「君は君のままで安心した」という慰めているのか、けなしているのか分からない言葉を投げかけてくる友人もいた。
確かに彼らの多くは、そもそも私が大学3年で就活を始めた時に、「え、就職するの!?」と驚いていた人間であり、「絶対向いてないって!会社員!」と全力で止めた予言者でもある。
そして、私に対する彼らの理解と、私の自己理解はほとんどずれなく重なっている。
そうだ、私は会社員に向いていないのだ。
向いていない理由第1位。自分の自由時間の最大化・充実化を重視し過ぎていること。
入社して半年ほどは特にこの性質のせいで、苦悩する時間が多かったように思う。なぜ働かないといけないのか。だらだらと本を読んだり、あてもなく散歩したり、友達とノリで夜行バスに乗って旅に出たりしていたいよ。そんな気持ちがずっと消えず、仕事中は常に本心を抑圧した状態にあった。入社後半年間は比較的暇なプロジェクトだったことも、悩む時間を与える原因になっていた。実際その後、大炎上プロジェクトにアサインされていた8ヶ月間は、「人はなぜ働くのか」「人は何のために生きるのか」等という「悩むための悩み」とは無縁となり、「今日をどう乗り越えるか」という差し迫った問いに、知的・精神的な体力をすり減らす日々だった。しかしその後1ヶ月ほど暇な期間が訪れるや否や、「自分が本当にしたいことは何か」を1日中考える日々に戻ってしまったことを考えると、私は、心から充実感を覚えられることに人生を投じたいという欲求が強いくせして、それが何なのかを突き止めることなくとりあえず試しに就職してしまったため、仕事に夢中になれないのだと思う。

向いていない理由第2位。病的なまでの先延ばし癖。
私は人生をかけてこの病と闘ってきた。小学校の宿題に始まり、受験勉強や日常の家事、何らか必要な手続き等、あらゆることを先延ばしにする性質がある。恐らくその性質により、取り返しのつかない失敗をまだしていないから、いつまでも治らないのだろう。「25歳にもなって先延ばし癖があることの恥ずかしさ」を直視することすらも先延ばしにしているのだ。

会社員に向いていないその他の理由としては、夜型・朝に弱いことや、組織に対する帰属意識が生まれにくいこと等があり、枚挙にいとまがない。

反応②「辞めないでよ」
意外にもこの反応も多くいただいた。コンサルの場合はプロジェクトごとに関わる人間が変わるため、入社からずっとこの人が上司!なんて人はいない。だから、退職を告げてもあっさりと「そっか、次の場所でも頑張れよ!」と言われるだけだと思っていたのだが、意外にも皆、哀愁深い顔をして「そっか辞めちゃうのか…」と呟き、退職を引き留めてくれたりした。社交辞令でも嬉しかった。特に嬉しかったのは、可愛がっていた後輩が本気で寂しがってくれていたっぽかったこと。彼のロールモデルになれるよう突き進みたい気持ちもあったが、これ以上自分に嘘をついて働けるほど、私は器用な人間ではなかった。余談だが、このような文脈で使う「不器用な人間」という言葉は、かなりオブラートに包まれた表現であり、実際には、本当に不器用な人間と、ただこじらせているだけの人間が入り混じっているように思う。私は後者である。

反応③「次は何するの?」
これは、会社を辞める人間に対する自然な反応と言える。特に今の会社は将来的な起業を視野に入れて入社してくる人が一定数いて、退職してカフェを開いたり、コーヒー豆屋になる人がいたりするため、若くして辞める人間の行き先は興味の対象になるのだろう。だが、私は進路を聞かれると少し困ってしまう。なぜなら何も決まっていないからだ。行きたい企業群はあるが、それらは早くて2026年4月入社のため、このままいくと約1年間は無職である。その間も生活費を稼がなければ飢えてしまうため、何かしら仕事はしなければならない。1年間の期限付きの仕事と考えると、アルバイトも視野に入るため選択肢は一気に広がる。いっそのこと、何でも自由にやれるボーナスタイムと捉えて、これまで興味があった仕事を片っ端からやってみるのも悪くない。ブレイディみかこさんの「私労働小説 ザ・シット・ジョブ」の影響は否定できないが、昔から「長期的なキャリア形成」というものに興味が持てず、私の周囲の人たちが就かないような仕事に就いている人に惹かれる。これから1年くらいは、困窮しない程度のお金を稼ぎながら、やりたいことを自由にやり尽くす生活を送ってみたい。

ここまで、退職を伝えた時の周囲の反応に触れながら、自分の労働観、人生観を吐き出してみた。
人は思ったよりも他者の人生に関心がないし、意見をして不和が生じるのも避けたいので、私の経歴に傷をつけ得る早期退職を、手放しに応援してくれる人しかいなかった。
この先私の人生がどうなるかは誰にも分からない。数年後、スーパーの値引きシールを探し求める姿も容易に想像できる。だが一つ言えることは、そのような生活すら楽しむ気概さえ捨てなければ、その人は幸福な人間以外の何者でもないということである。
「人生は冒険だ」と誰かが言っていた。そのようなマインドを持てる人間にとっては、確かに人生は刺激に溢れた冒険なのだろう。忘れかけていたそのマインドをいまこそ思い出したい。

人生は冒険だ。そしてその地図は自分で作る。

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