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「愛する日本へ。私はあなたたちに謝らなくてはならないことがあります。」byアインシュタイン



「日本を愛したアインシュタイン」
アインシュタインがどれほど日本を愛していたのか
日本人は欧米人と比べ
遠慮深いということ自分を優先する個人主義は
欧米ほど強くなく家族の絆は
ドイツよりも非常に硬い。
日本には憎悪などの感情を表さずいかなる状況でも
落ち着きそのままに保つという特有の伝統がある。
これにより人と人とが容易に親しくなることができるのだ。
もちろんそれは個人の抑制ではない。
欧米には存在しない素晴らしい伝統である
日本人特有の優しさや欧米人など足元にも及ばない
強い同情心がこの伝統を育んできたのであろう。
といった具合でどの過ぎた欧米の個人主義ではなく
日本の家族主義や集団主義に心打たれたことが伺え、
また日本人に謙虚、質素
礼儀正しさ、優しさ、同情心などの
繊細な魂が宿ることも見抜いていました。

超一流の科学者アインシュタインは偏見とは無縁で
豊かな感性にあふれ、人としても超一流でした。
こうしたアインシュタインの思いを知り
日本人も一層彼に尊敬の念を抱くことになりました。

また、アインシュタインは日本の美しい自然と
それと共生する人々の姿にも心を奪われています。

私は驚きを隠せない。
日本では自然と人間が
まるで一体化しているように感じる。
すべてのもの朗らかで愛らしく、
その多くは
自然との密接な結びつきがある。
みどり豊かな小さな島々、
丘陵の景色と木々
丁寧に耕された田畑と
傍らに立つ小さな小屋、
日本人の言葉に所作、
さらには
衣服から家具に至るまで
礼儀正しい人々の
絵のように美しい笑顔お辞儀、
座っている姿にはただただ驚くばかりです。
しかし、真似することはできません。
人間と自然の美しいまでの調和は
日本の伝統芸術として
アインシュタインの心に深く
刻み込まれていきました。
こうした40日以上にも及ぶ日本の滞在が
アインシュタインを親日家に変身させたわけです。
12月29日にアインシュタインは
帰国の途につきますが、その前日の新聞紙面には
アインシュタインから日本国民への感謝の
メッセージが掲載されました。

地球上に日本国民のような
謙虚で特実な国民が存在することを知った。
これまで世界各国を訪ねたが、これほどまでに
純粋な心を持つ国民に出会ったことはなかった。
また、日本の芸術や自然にも一種
独特の価値があると知った。
ここでもアインシュタインは日本人の国民性と
日本の素晴らしさを褒め称えていました。

ただその後の文言に気になる部分があったのも事実です。

アインシュタインの警告
気になる文言とは日本国民が
欧州に感染しないことを希望するという言葉です。
帰国前の記者会見でもアインシュタインは
それに触れています。
また様々なところで外国にかぶれるのは
日本と日本人のためには良くはない。
良さを求めて変化をするのは構わないが
大事にすべき文化や伝統までも
破壊するのは感心しません。と
西洋の科学技術を学び発展した日本ですが、
一方で
科学技術には自然を征服利用する姿勢が
あるのも事実です。
それは自然との一体化共存を図る
日本人の姿勢とは反するもの。

前述した書籍
「アインシュタイン日本で相対論を語る」では
これをアインシュタインからの警告として
次のように紹介しています。
確かに日本人は西洋の知的業績に感嘆し
成功と大きな理想主義を掲げて
科学に飛び込んでいますけれども、
そういう場合に西洋と出会う以前に
日本人が本来、持っていて
つまり生活の芸術家個人に必要な
謙虚さと質素さ日本人の純粋で
静かな心それらのすべてを純粋に保って
忘れずにいて欲しいものです。
アインシュタインは彼が愛した
日本の芸術や優しい国民性が
欧米化の潮流で失われつつあることを
見抜いていました。
そしてもう一つとても重要なことも同じ
記者会見の席でアインシュタインはこうも
述べています。
日本で気になった点は
軍人を見かける頻度が高いこと。
平和を願う神社にも
武器や鎧が飾られていること。
また大阪では会場にいくつも
日本とドイツの国旗が飾られていました。
親切な日本人が日独親善のために
飾ってくれたことには深く感謝しますが、
軍国主義のドイツに嫌悪感を持つ私は
正直、複雑でした。

平和を好むアインシュタインは
日本に忍び寄る
軍国主義の足音にも不安を抱いていました。
そしてそれは現実となります。
1930年代
ヨーロッパではナチスドイツが猛威を振るい、
そして第二次世界大戦へと突入します。
ドイツでは多くのユダヤ人が迫害を受け
命の危険を感じたアインシュタインは
アメリカへ亡命していました。
日本と同盟を結ぶドイツから逃れた
アインシュタインの亡命先が
敵国となるアメリカ。
アインシュタインと日本を紡ぐ光の糸が
断ち切られた瞬間でした。
アインシュタインは同じく亡命をしてきた物理学者
レオシラードからアメリカ大統領に直訴する手紙へのサインを頼まれます。
シュラードの主張はドイツでは
原子爆弾の開発が進みアメリカも早急に
開発しなくては手遅れになるとのこと。
世界的権威のアインシュタインがサインすれば、
大統領も見過ごせないだろうとの目論見です。
当然アインシュタインは
原爆が完成した場合の悲劇は理解しています。
しかし、それをナチスドイツが手にしたら
ユダヤ人に向けられたらそれが一番の恐怖でした。
苦渋の選択2週間ほど悩み抜いた
アインシュタインはついにその手紙にサインをしました。
ここで一つ注釈を入れておきますと、
アインシュタインはサインをしたものの
マンハッタン計画には一切関与していませんし
計画がスタートしたことも知らなかったようです。
日本人への謝罪と涙の理由
そして昭和20年
広島と長崎に原爆が投下されました。
その一報を聞いたアインシュタインは衝撃を受けます。
その後広島の平和活動家
谷本清志牧師とノーベル物理学賞を受賞し
た湯川秀樹と面会した際にアインシュタインは
原子爆弾製造の後押しをしたことを悔やみ
涙ながらに謝罪しています。
何の罪もない多くの大切な日本人は傷つけてしまった。
悔やんでも悔やみきれないと
その後アインシュタインは核兵器の廃絶と
科学技術の平和利用を生涯にわたり
訴え続けています。
平和主義者であるアインシュタインらしい行動ですが、
やはり日本が被爆国となったことが大きかったのかもしれません。
ユダヤ人として生まれた天才科学者平和を愛し、
人としても優れたアインシュタイン
彼は科学の素晴らしさも
恐ろしさも知っていました。
そんな彼ならではの苦悩だったのでしょう。

科学が進み
核兵器が生まれると人類の平和のみならず
地球環境さえ危機に陥りました。

アインシュタインが愛した人と人との輪。
人と自然との輪この日本の伝統は今こそ
全世界が欲するものかもしれません。
世界の文化はアジアに始まってアジアに帰る。
それはアジアの候補日本に立ち戻らねばならない。
我々は神に感謝する神が
我々人類に日本という国を
作っておいてくれたことであるとの文言をご存じでしょうか。
これはアインシュタインが日本に託したメッセージとも言われています。
この全文にはいつか戦闘に世界が疲れ果て
平和を求め世界の名手を上げる時が来るなどとあり、
その結論として彼は愛する日本を盟主にあげたのだと。
ただこの文言には諸説あり、残念ながら実際に
アインシュタインが発した言葉なのかは分かりません。
それよりもアインシュタインが発したかも
しれないこのメッセージ。
現代の日本はそれに恥じない国、そして人種であるのか、
そう世界から問われている気がしてなりません。


美しい日本精神を取り戻すために
取り組ませて頂いています。
少しでもご関心がある方は
是非、ご覧ください。
お待ちしております。

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