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店主の考え

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#コーヒー

「コーヒー」

「コーヒー」 いつになったらこういう人って絶滅するのかな。 それで目的の物が一発で出てくる事ってある? ないだろ。 アイスかホットかも分からない。 うちに関して言えば、コーヒーという名のメニューは無い。 いや、凄いな。 その度胸。 初めましての店でそれが出来るんだもんな。 強気だ。 何を考えてるんだろう。 こんな振る舞いが出来る自分はかっこいいなのか。 コーヒーと言えば本気で伝わると思ってるのか。 どちらにせよ、痛い子には変わりない。 おじさんが言

経験

その立場になってみないと分からない事があって。 花粉症になって、初めてあの辛さを理解出来たように、想像では超えられない壁があるんです。 よく、経営者が従業員に「オーナーシップを持て」と口酸っぱく言いますが、それは到底無理な話で。 リスクを晒してる人とそうでない人とでは、同じ気持ちになれるはずがないのです。 求めるだけ無駄なので、割り切るか、諦めるか、首を切るか。 そのどれかで対処するしかないでしょう。 経営の話ではないんですが、僕が最近興味があるのは富裕層の人たち

小さい事の積み重ねで

とある人と話していて。 同業者ね。 「小さい事の積み重ねですよね」という話になり。 ポジティブな意味じゃなくて、ネガティブな意味で。 こんな事が毎日起きて、これから先も無くなる事はない。 そう思うと絶望しますよね。 と。 くっら。 お店というものは、お客さんの数が増えれば増えるほど、おかしな人も来てしまい。 先日あったお寿司屋さんの騒動なんかもそうで。 堀江貴文さんは、あれを解決するには会員制にするしかない。と仰っていて、僕も同意で。 昨日もこの方と会員

味だけで、雰囲気だけで

何人の常連さんがいなくなり、何人の常連さんの頻度が減り、何人の常連さんを奪ったか。 昨日、「世はまさに戦国時代」みたいな事を書いて。 常連さんに言われました。 「近くにコーヒー屋が出来ただけで、常連さんも来なくなるんですか?」と。 ええ、来なくなります。結局は利便性なのです。 「人でしか差別化出来ない」 僕は昔からこんな事を書いているのですが、これは事実でありつつも願望に近いものでもあり。 悲しいかな、響くのは2割程度です。 そうでなければ、あのコーヒー屋も、

他のコーヒー屋さんを知らない

「おすすめのコーヒー屋さんはありますか?」 よくある質問です。 同業者が認めるコーヒー屋に行きたい。 その気持ちは分かります。 失礼だとも思いません。 大抵が関係性のある人からの質問だったり、うちの事を好きなのが前提だったりするので。 ただ、僕はあまり答えられなくて。 意地悪をしたい訳ではないんです。 単純に知らないんです。 僕はきっとどのカフェの店主よりも他のカフェを知らないでしょう。 付き合いが無いからってのもありますし、休みがないってのも大きいんです

根性と商材

体が壊れない自慢を続けてきましたが、今日で最後。 忙しくない、寝る、関わる人を少なくする、吐き出す。 これらのお陰だと思うんですが、何でこうなったかが大切で。 全ては過去にあります。 昔と比べて忙しくないとか、昔と比べて関わる人が少ないとか。 自分が何にストレスを感じ、どうすれば解消出来るのかを考えた結果、今があって。 「より良い生き方はこうだ」みたいな、n=1の体験談を有り難く拝聴し、崇拝する事も無くなります。 自分の事は自分で決める。幸せの尺度も自分で決める

体が壊れない事について

とある人気のコーヒー屋さんが臨時休業していました。 働き過ぎた為、体にガタがきたらしいです。 気持ちは分かります。 けど、なぜ僕はそうならないのだろうか。 お客さんにも疑問を持たれる事があって。 尊敬と畏怖の念を持ってる方もいます。 マジで。 「そのエネルギーはどこから沸いてくるんですか?」と。 今までは「健康に産んでくれた両親に感謝」と、よく書いていたけれど、もう少しちゃんと書こうと思います。 まず、うちの店がひっきりなしにお客さんが来るようなお店では無い

想像と体験は別物

当事者にならないと分からない事があって。 「お客さんは分け隔てなく大切にしなきゃ」と、言う人は、飲食店で働いた事がなく。 「インボイスを反対してる奴はアホだ」と、言う人は、事業をやってない人で。 「コーヒーの原価は数十円だから」と、言う人は、コーヒー屋ではありません。 (偏見&偏見) 明日になるまで分かりませんが、渋谷のハロウィン文化は終わりそうです。 その事に対して賛否があるとは思うんですが、僕はほっと胸をなでおろしていて。 お店をやってる側からすると、百害あ

そこではやめてもらえたらと

昨日、荒ぶったnoteを書いた中、荒ぶった常連さんが来たと書きました。 類は友を呼んでしまうのか、朱に交われば赤くなるのか。 うちには荒ぶった人が来るんです。 ごめんなさい、嘘です。 僕は普段は静かですし、この常連さんも静かな人です。 いや、僕は静かだけど、、、やめておこう。 荒ぶってた理由は、一日のスタートを邪魔されたからで。 休日に早起きし、お気に入りのコーヒー屋に行ったら、隣でマルチの勧誘が。 最悪でしょ。 特有のエネルギー、張り付いた笑顔、止まらない

やった気になるって、誰の為の言い訳だよ

「この展覧会が良かったから行ってみてください」 そんな社内メールが、お客さんに回ってきて。 その人のやってる事、忙しさを知ってるので、「どうでもいいメールですね」と言いました。 お客さんも「こういうのに行って、インプットした気になってる人が多いんだよ」と、嘆いてました。 展覧会に行くのが悪いのではなく、その行為が目的になってしまっていて、それでアウトプットは変わったの?という話で。 趣味として行くのは良い事だと思うけど、仕事だと言うのには無理がないかい?という話でも

感動の共有ではなく、秘密の共有

日常を提供したい。 そんな事を書いた昨日、この本を読んで。 「そうそう、これこれ」と、なったのです。 この想いがあるから、日常的に通えるようにしたくて。 それが営業日だったり、価格だったりに反映されています。 前に書いたと思うんですが、僕はマイナスをゼロにする事に興味があって。 落ち込みとか、ストレスとか、モヤッとした気持ちとか。 それらゼロにするお手伝いをしたいんです。 だから、一杯1000円のコーヒーは違うし、観光客でひっきりなしのお店も違くて。 一生に

目指してるもの、提供したい事の違い

「日常的に通える所じゃないんですよ」 たまたまなのか、同じ日に複数の方からこんな事を言われて。 きっと僕が普段から『日常』という言葉を使ってるからだと思うんですが、まあ、よく分かってくれてるお客さんな訳です。 ありがとうございます。 きっかけは「あのカフェは行ったの?」という会話から始まった気がして。 そのカフェのコンセプトとか、やってる事、あと価格。 それらを踏まえて、日常的に行く場所ではないんですと。 なるほど。 カフェに行く理由はさまざまだとまざまざと見

先入観と期待値

先入観と期待値。 先日、『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』を観たんです。 知ってますよね、アカデミー賞で作品賞や監督賞など、計7部門を受賞した作品。 それが冒頭の言葉に繋がるんです。 知らないほうがよかったなって。 アカデミー賞と聞くと、どうしても高尚なとか、感動とか、誰もの胸を打つ。みたいなイメージがあって。 見た人は分かると思いますが、『エブエブ』は人を選ぶ作品で。 TOHOシネマズというよりも、アップリンク寄りだし、アカデミー賞というよ

なぜ差が出るか

”「お前が受けるサービスの質は、お前の態度と俺の気分次第だ」” 僕も接客に難ありと書かれた事がありまして。 記事を読んでもらうと、新規のお客さんと常連さんとの対応の差。期待値との差。最後はお客さんの被害妄想であると結ばれています。 冒頭に引用した言葉は、スコットランドのあるパブに掲示された張り紙に書かれた言葉みたいで、最高だったので引用しました。 良いサービスを受けたかったら、良いお客さんであれ。 胸に刻んどいてください。 世の中には、常連さんと一見さんの対応の違