感動の共有ではなく、秘密の共有
日常を提供したい。
そんな事を書いた昨日、この本を読んで。
「そうそう、これこれ」と、なったのです。
この想いがあるから、日常的に通えるようにしたくて。
それが営業日だったり、価格だったりに反映されています。
前に書いたと思うんですが、僕はマイナスをゼロにする事に興味があって。
落ち込みとか、ストレスとか、モヤッとした気持ちとか。
それらゼロにするお手伝いをしたいんです。
だから、一杯1000円のコーヒーは違うし、観光客でひっきりなしのお店も違くて。
一生に一度は行ってみたいとかに興味無いんです。
そこに来る人の感情がマイナスな訳がないですしね。
もちろん、マイナスな人だけが来てほしい訳ではないんだけど。
”一杯のコーヒーを飲む時間を確保する冷静さが人には必要なのだ。”
これ。
僕も今まで生きてきた中で、パンクしそうな事が何度かあって。
会社にいるとノイズが入るし、混んでる店は落ち着かないし、そういう時にひっそりとしたカフェに行っていて。
何をするでもなく、ぼんやりと考えたり考えなかったり。
その時は、心を落ち着かそうとかもなく。
無目的に行き、気がつけば整ってる感じ。
この体験があったから、お店を続けてるんだと思います。
カフェが必要だと思ったので。
いつ行ってもやっていて、いつもの人がいるカフェが。
パンクしそうな時は、勝手に自分の中で煮詰まってると言いますか。
誰かに相談する事でもないし、かといって無視は出来ない事で。
でも、一人で抱えるのはしんどい。
そんな時にカフェがあるとちょうど良くて。
一人だけど孤独じゃない。
それが確保されてると、心は安定します。
あそこに行けば、あの人がいる。
それが僕の提供したい事で、お店を続ける理由でもあります。
だから、物理的にコーヒーを提供したいってのが一番じゃなくて。
トップオブザトップを目指してないってのは、そういう事なんです。
心がパンクしそうな時に、財布までパンクさせる訳にはいかないでしょ。
最高に美味しいとは言わないまでも、ワンコインでちょっとマシなカフェラテが飲めて、僕がいて。
それで日常を平穏無事に生きていける人がいれば、僕は嬉しいのです。
最高のコーヒーを追い求める人は、職人としてかっこいいと思います。
憧れはある。
でも、その楽しさは僕には無い。
美味しさを分け与えて感動の共有ではなく、感情に寄り添って秘密の共有のほうを、僕は大切にしたいと思うのです。
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