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【あし #3】世界パラ陸上金メダリストの原点

生馬 知季さん(前編)


 2023年7月にフランスで開催された世界パラ陸上競技選手権大会『ユニバーサルリレー(注:視覚障害、立位の切断及び機能障害、脳性まひ、車いすの順番で、男女2名ずつ計4名で走る混合の400メートルリレーでパラ陸上のオリジナル競技)』。生馬選手は、最終走者として見事金メダルを獲得した。

 生馬さんは生まれつき足が動かない(麻痺)、足の変形、左右の足が非対称、足が細いなどの運動障害がみられる『先天性二分脊椎症』を患い、7歳から車いすに乗っている。

 中学に入ってから障害を“意識して”塞ぎこむも、パラスポーツが前向きに変えてくれ、陸上競技に出会って、公務員の職を投げうってまで夢を追って指導者の門を叩き、これから2024年のパリパラリンピックに挑む生馬さんのお話である。


 「小学生の年齢までって、自分も周囲も目の前のことを自然と受け入れる時期だと思うんですよ」。小学校の各階には車いすが置かれていて、「昇降機を設置していただくまでは、階段では敷かれたカーペットの上を腕だけで上っていた」。グラウンドでは「車いすから下りてまで腕で遊んでいた」。自分にとって、また幼稚園から一緒だった友人にとって、「自覚も薄いし、周りもそれが自然だった」。例え「階段に上れなくても“制限”を自覚してなくて、悲観的に捉えることもなかった。周囲からも“特別視”されず、“特別な配慮”もなかった」。それこそがよかった。

 しかし、中学に上がった頃が「分岐点だった」。授業やメディアで『障害』という言葉を耳にするとともに、それまで『障害』に関わりのなかった同級生など「必要以上にサポートしようとしてくれたり、学校も車いすのまま階段を乗降できるような設備を付けてくれたが、(昔より)余計に手間がかかった」。誰も悪くなかったが、13歳で初めて、「特徴的な見た目から足に視線が向けられる、かわいそうと思われているという先入観が根付き、障害を気にするようになった」。

 昔はグラウンドどころか、川にも山にも遊びに行っていた。「山の下に車いすを放置して腕で山登りしていたんですよ」と笑いながら話してくれた生馬さんは、その頃には「学校が休みの日でも外出しないようになっていった」。


 その頃にご両親が「スポーツをやってみよう」と勧めてくれて、車いすバスケットを始めた。車いす同士が激しくぶつかる「アグレッシブさを体感し、障害への悲観的なイメージが変わった」。バスケットを続ける中でいつからか、「自分自身がどう考えるかだけで、人生を豊かにできるんだ」という考え方に「スポーツと関わる中で徐々に変わっていった」。

 そんな中で、たまたま練習を見に来ていた陸上の指導者に「陸上をやってみないか?」と誘われる。生馬さんは先天性で足が正常に発達していない分、体重が軽かった。パラ陸上は体重が重いほど路面に負荷がかかってしまうので、特に短距離種目において「体重が軽いことが有利」だった。「自分の強みをより活かせるのではないかと思った」。

 他方で、練習する陸上競技場を個人で借りられるわけもない。お母様に車で連れて行ってもらい、地元の和歌山県立医科大学のトレーニングジムを使わてもらったり、交通量の少ない海沿いの公道で、日々練習に励んだ。そんな中で、岡山県でパラ陸上の指導をされていた、第1話でご紹介した松永さんに出会う。


後編に続く)



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