【あし #23 / て #5 / しんけい #24】「息子の回復に寄り添う」のリアル
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樹希母さん(前編)
以前の投稿で、交通事故から意識が半年以上戻らず、今も辛いリハビリを続けながら「車椅子モデル」として活躍する樹希さん(instagram、TikTok)のストーリーをご紹介した。
今回は、その樹希さんが事故にあった日から二人三脚で歩み続けてきたお母さまのストーリーをご紹介したい。
「息子さんが事故に遭われました。病院に搬送されているので、すぐに来れますか?」
警察から電話を受け、息子さんの状況を聞いても「どんな状態かわからない」とだけ。病院に到着して「事故で運ばれた男性の母親です」と伝えても、すぐに会えずに待たされるだけだった。
これは現実なのか現実じゃないのかがわからなくなり、「うまく表現できないんですが、すべてが異世界に行ってしまった感覚でした」
わからない、先が見えないことは、恐怖だ。
数時間経つうちに、すぐに会えないという事実が「これはまずいんだ」という恐れとして急速に膨らんでいく。病院のトイレで嘔吐し、パニックになるなど、「自分の精神状態がおかしくなっていった」
ようやく呼ばれた医師から出た言葉は、「処置は終えたが、命の危険があり、いつ急変するかわからない」。自分一人では立っていられない状況で、やっと対面できた息子さんは、「体中に管がつき、人工呼吸器につながれ、全身が傷だらけ。朝出ていった息子とはまったく違う姿」だった。
やっとこれは現実なんだと認識できても「感情が追いつかず、涙も出なかった」
その日から毎日付き添い、1週間後に命の危険から脱したが、その後意識が戻るかはわからないままだった。
「その間は、ちょっと変化に期待をして、でも失望をしての繰り返しでした。その時どう自分を保っていたのか、今でも思い出せないんです」
例えば、眼が開いたり、体がビクンとなったとする。人間の身体には、刺激に対して脳を経由せずに無意識に起こる『反射』と、脳を経由して筋肉に命令が伝わる『反応』の2つがある。息子さんのそんな身体の動きに期待するたびに、医師からは「(意識が戻っていない)反射です」と指摘され、失望する日々だった。
「先生から説明される言葉や脳のメカニズムは、未知のことばかり。眼が開いていても、意識があるかわからない。一生このままなのか。だとしたら生きていると言えるのか。そばにいても何もできない悔しさもあり、とにかく苦しかった」
それでも先の見えないリハビリを続けて半年以上経った頃、ついに、こちらの指示に対して『反応』できるようになった。
例えば、「わかる?」と聞かれれば瞬きをするように。質問にYESなら瞬きを1回、NOなら瞬きを2回するように。そういった形でコミュニケーションがとれるようになった。
半年以上前は感情が追いつかずに出なかった涙も、今度は溢れて止まらなかった。
このお話をお聞きして、この時期が最もしんどかったのだろうと勝手に誤解した。しかし、母親として本当にしんどい時期は、その後だった。
意思疎通が取れるようになり、「段々と脳が起き始めて、右手も動くようになってきた」一方で、気管切開して発話できない中で「思うように、伝えたくても伝えられない、体を動かしたくても動かせない」ことで脳が混乱し、苛立ちが表面化するようになる。息子さんに限らず、脳の回復過程では必ず起こると言われている。
毎日朝から晩まで付き添うも、息子さんは「怒ることでしか自分を表現できず、怒り過ぎてぐったりする毎日」だった。そんな繰り返しの日々に「ここまで辛いなら生きるのをやめようか、そこまで思い詰めたのは初めてだった」
その日も息子さんは一日中暴れ、気分転換に車椅子で外に連れ出せばぐったりしていた。入院先の病院は山に囲まれていた。心が「この先このままなら、もういなくなってしまおう」という感情で支配され、そのまま車椅子を押したまま、いつもは出ない病院の外に出て、山の方に向かった。
しばらくした時だった。少し発声できるようになっていた息子さんが、か細い声でつぶやいた。「お腹すいた」
生きていくために必要な言葉が出た瞬間に、涙が出て体が震えて一瞬で我に返り、その場に倒れこんだ。「息子が察知して止めてくれたんだ」と思う一方で、感情をコントロールできず辛い中でも生きようとする息子になんてことをしてしまったのかと「今でも懺悔の気持ちがある」
「その時が一番つらかった」が、同時に「一緒に生きていこうという決意ができた」
(後編に続く)
ここまで読んでくださった皆さまに‥
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