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【こころ #14】息子が『統合失調症』と診断されるまで

森野 民子さん(前編)


 森野さんは、脳や心に起因する疾患及びメンタルヘルスへの理解を深め促進する『シルバーリボンジャパン』の副代表を務めておられる(第6話では同団体で監事を務めておられる須賀さんもご紹介させていただいている)。


 その職務の原点は、森野さんの息子さんが高校2年生の3月に遡る。

 帰宅した息子さんが珍しく「ケンカして帰ってきた」と話す。年頃の男の子だからかなと「ケンカなんてダメだよ」と注意するも、その日から、ケンカの相手の数が1人、3人、そして20人と増えていく。さらに「地元で一番強いヤンキーに勝ったとか、関東一強くなった」と話すようになった。明らかにおかしいと気付き、学校に連絡すると、先生からも「お母さんに連絡しようかと思っていたところです」と返ってきた。

 すぐにでも病院に連れて行こうと児童期・思春期を専門とする精神科外来に連絡するも、3週間後しか予約が取れない。その間も、息子さんは自分の異変に気づかず、現実だと思い込んでいる。「なんで受診するの?」と言う息子さんを何とか受診させ、やっと入院させたることができたという。診断名は『妄想性障害』だった。


 振り返ると、それまでに家族への暴言や暴力があったわけではない。ただ、「少しイライラしている感じとか、発症する数日前から眠れていない様子はあった」。さらに思い出せば、数カ月前だったか、運動好きでよく「走ってくる」と家を1-2時間空ける息子さんが自宅近くの公園のベンチにひとりで座っているような風景を帰宅途中のご主人が目撃したことがあった。

 こう丹念に振り返ってみれば、その頃から何かあったのかもしれない。しかし、高校2年生の後半と言えば、来年は大学受験や進路を考えないといけない頃である。たまにそんな日々があってもおかしくないと思うのが普通だろう。

 森野さんは、その後落ち着かれた息子さんから聞かされた。「話していなかったけど、中学生の頃から少しおかしかった」と。記憶力や集中力が続かなかったり、認知機能が低下して勉強含めて色々と手が付かなくなり、「高校に入学した頃から妄想が出始めた」と。

 でも、その頃、家では「毎日家族におはようと言い、朝ごはんも食べて、学校も休まず通っていた」。仮に私が息子さんの立場だったら、うまくいかないところを親に見せたくないだろう。そうした中で親が気付いてあげられることは簡単ではない。


 息子さんは、本人の意志に基づく『任意入院』だったこともあり(注:本人の意志はなくとも家族等の同意で入院となる『医療保護入院』もある)、3週間で退院した。「脳に負担のない生活が大切」と考えて学校は行きたくなったら行けばいいと伝え、息子さんも家でずっとゴロゴロしていた。その頃は妄想の話はしなくなってきていたが、そわそわと動きまわったりもする。病の『陰性症状』(意欲の低下から活動性が落ち、表情が乏しくなる等の症状)や薬の副作用が混じっていたのかもしれない。


 他方で、学校からは「これ以上休むと単位が足りず、卒業が厳しい」と言われ、森野さんは「留年は嫌だ」と言う息子さんと通学を再開することになる。これが大変だった。

 薬が強すぎたのか、息子さんは「朝7時からベッドに座ったまま動けない。やっとの想いで着替えて、下に降りる」。森野さんは職場に向かう車に息子さんの自転車を載せて学校の近くまで送り届け、自転車を降ろして通学を見送った。息子さんも「”鉛のような体で“なんとか教室にい続け、テストを受け、課題を提出し、医師に診断書も書いてもらい」、やっと卒業することができた。その診断書には初めて『統合失調症』と書かれていた。

中編に続く)



▷ シルバーリボンジャパン



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