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ピンチをアドリブで乗り越える技 99/100(Online1,2)

23年7月8日17:40に加筆


自問自答を繰り返しながら、
アドリブと演技の関係を
追求していってみようと思い立ちました。
100回(?!)連載にて、お送りします。


今日はオンラインを想定して考えてみようかと思います。

以前、映像の演技には、針穴に糸を通すような、細やかな表現が必要である、というお話をしました。

カメラのレンズには、ピンホールという光を取り込む穴が空いていて、まさにそこに意識を全集中させるような気分です。

しかし今日は、敢えてその逆も必要であるという話から始めます。

これは、役者の友人が気がつき言い始めたことで、それから2人で色々と話をしながら辿り着いた仮説です。

近年の欧米好みの演技は、大袈裟にせず、細やかな、ナチュラルな演技が主流です。

SNSや『アヴェンジャーズ』などのヒーローモノの影響で、それも変わり始めているという意見もありますが、それでも日本のテレビドラマの演技に比べて、欧米では誇張をしない演技が求められます。

そしてその誇張された演技のことを、「Kabuki」と表現します。

「Don’t do Kabuki. Do less. Much less. No need to show us」
(Kabukiはしないで。小さく。もっと控えめに。見せる必要はない。)

私だけでなく、演劇学校を卒業したばかりの役者の多くは、映像のオーディションなどで、よくこう言われてしまいます。

大きな劇場にも耐えられるような、演技の基礎を中心に学ぶのが、イギリスの演劇学校なので、映像の世界にそれをそのまま持ち込んで、

「やりすぎだ」
と、言われてしまうのです。

「何もしなくていい。セリフを信じて、ただそれを言えばいい」
そう言われます。

これって、一応名門とされている演劇学校で、一流の演技術を色々と学んできたばかりの身には、結構こたえます。

何もするな。棒読みでいい。

でも実は、この言い方はオーディション担当者の表現不足で、何もしない演技を求められているわけではないんです。

むしろ、その逆ではないか?

というのが、私たちがたてた仮説です。

ジョージ・クルーニーが一番わかりやすいのですが、例えばあるホームパーティーのシーンでの演技を見てみると、セリフを言い、相手役と会話する以外に、

カナぺを手に取る、それを食べる、味に反応する、向こうの美女を眺める、喉が乾く、腕を掻く、など

様々なことをしているんです。

流石にこれはやりすぎですが、それでも、セリフに感情を込めているわけではなく、全てが非常にナチュラルに見えます。

セリフだけに集中して、感情を込めてしまうと、それが嘘っぽくなってしまいます。

私はこれを「脳内過多」と読んでいるのですが、ちゃんと周囲を把握し、それらに答えている、結果として、セリフに意識が集中され過ぎずに、ナチュラルな演技に聞こえます。

舞台の演技は大きく、映像の演技は小さく
と、俗に言われますが、むしろ逆なんです。

Less is more.
ではなく、
More is less.
なんです。

カメラはありとあらゆる細やかな表現を読み取ります。

オフラインならば気にならないような些細なことも、オンラインだと目に留まってしまうかもしれません。

ピンチに陥った時、カメラを切ることはできません。

みんなの目が、自分の映像に向いてしまう、ということもあるでしょう。

レンズは多くを読み取ってしまうので、怖いですよね。

そんな時こそ、自分が相手にどのような印象を与えているかを、自覚しておくことによって、その対策も可能です。

明日に続きます。


以下、私のナンバリングミスのため、このまま続きます。(23年7月8日17:40)

昨日に引き続き、オンライン対応をする上で、どういった演技のツールが使えるか、考察していきます。

ピンチに陥った時、オフラインよりも、細かな表現まで読み取られてしまうのが、映像ですが、むしろその四角い枠内にだけ気をつけてれば良い、とも捉えられます。

隠れている部分では、自分を取り戻すために何をしていても、オンラインの相手にはバレません!

気分を落ち着かせるために脚を組んでいても、貧乏ゆすりをしていても、相手には見えません。

オフラインでは、こうはいきませんね。

一方で、画面の額縁の外の様子も、カメラは捉えているという話も、一応しておきます。

ダンサーの田中泯さんと、映画のお仕事でご一緒した時です。

泯さんは、ダンサーなので、とにかく身体全体での表現が素晴らしかったです。

映像の額縁としては、見えていない部分の身体表現も、非常に丁寧になさってました。

もう一度言います。

映像としては、泯さんの身体は見えていません。

でも、その独特な動きが、肩の感じや、胸骨の様子、顔の筋肉に至るまで、特有の表現を見せていました。

身体は全て繋がっている。

足の指の些細な動きが、表情筋にまで影響を与える、と実感した瞬間でした。

でも、通常のオンライン会議においては、そんなことまで気にする必要はありません!

隠せる部分が多くてラッキー、と思っていただいて良いと思います。

例えば、私たち役者はコロナ以降、自分でオーディションテープを撮影して送ることが多いのですが、これだとセリフを覚える必要がありません。

カメラ脇に、印刷しておいた台本をセロハンテープで貼って、それを読んでいると悟られないように、そのカンペを使います。

ちなみに、こういう時は、レンズから数センチ離れたところを見ます。

レンズを見る時は、それが意図的な行為でなくてはいけません。

また、自分の顔は中央から少しずらします。

そうすることで、目線が立体的に斜めを向きますし、線対称で平面的な顔にならずに済みます。

余裕がある時は、カメラを画面とは別の位置にセットするのも良いでしょう。

これも、立体的な映像を作りますし、パソコン画面のカメラよりも目線が上がるので、常に俯いているという状況を回避することができます。

ちなみに、以前「目線」でもお話ししたように、どこか部屋の中で、目線を持っていく場所をいくつか定めておくと良いでしょう。

目が泳いでしまうことを防げます。

スライドと声に関してのご質問を受けたこともあるのですが、これはどちらかというと、映像監督の領域です。

でも、役者視点から考えるとすれば、スライドを変えるタイミングでしょうか?

型をやってからセリフを言うか、セリフを言ってから型か、同時か、これによって与える印象は大きく変わります。

オンラインは、声も難しいですよね。

オフラインのように、声の振動というか、覇気が伝わりません。

それでも、「三つの輪」はオンラインにも有効です。

この場合、「二つ目の輪」がレンズを直視している状態になります。

声と身体、それぞれの「三つの輪」組み合わせることによって、変化に富んだ表現が可能です。
そしてもちろん、「重心」。

映画の撮影で、閉じる扉の中央に自分が来るようにしなくてはいけなかった、難しいシーンの話を以前しましたが、映像では、ほんの少しの重心移動が、画面上の自分の位置を大きく変えてしまいます。

これをむしろ逆手に取れば、ほんの少し意識的に重心を変えるだけで、静止画かと疑われるほど動かないZOOM参加者にならずに済みますよ!

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