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ピンチをアドリブで乗り越える技 66/100(チャンス)
自問自答を繰り返しながら、
アドリブと演技の関係を
追求していってみようと思い立ちました。
100回(?!)連載にて、お送りします。
昨日の続きです。
「小学校で起きた無差別殺人事件の、加害者と被害者家族の和解プロセス」
という題材で、それぞれ綿密に役作りをした上で、一つの部屋で対面するという即興劇を行います。
経緯は思い出せないのですが、私は被害を受けた生徒たちの教師、という役柄で参加しました。
初めは無言の膠着状態です。
30分以上続いたと思います。
それぞれの一挙手一投足を探り合います。
少しでも動こうものなら、全員の注目が集まるので、迂闊に動くこともできないような状態。
すると、被害者家族が突如発狂して、加害者に掴み掛かります。
それに反応して逆上する加害者、
ふたりを制止する他の被害者家族と、加害者たち。
急な暴力的な空気に泣き出す人々。
パニック状態でした。カオス
それが収まると、調整官がやっと口を開きました。
その後、言葉と肉体の暴力を重ねながら、それから何日間もの間、即興を続けます。
「加害者グループの動機はなんだったのか?」
「被害者の家族は、当事者である子どもたちの代弁者であり得るのか」
「そもそも和解に意味があるのか」
など、さまざまなテーマが展開されていきました。
しまいには、この事件の根元にあったのは宗教対立であり、加害者にも家庭があり、被害者の家族感にも疑問が生まれ、個人対個人という認識へとシフトしていき、それが和解へのプロセスとなっていく、というようなシナリオに発展したと記憶しています。
先述のように、暴力行為に発展する場面もあったので、軽傷者を出すことにもなりました。台本も事前稽古もない格闘シーンですからね、多少のアクシデントは避けられません。
でも、誰も大事には至りませんでした。
なぜかというと、一応みなイギリス式の演技というものを、理解した上で挑んでいるからです。
役作りはそれぞれしてきていますが、その役に完全に侵食されているわけではなく、The Witness(7/100参照)を残しているので、そこにはセーブが効き、大怪我に繋がるような事態となることはありません。
昨日ご紹介した荒木博行さんの記事では、感情的が爆発してしまうような修羅場が起こったときは、その先に「神秘くん」が隠れているとおしゃってました。
これって、まさに私たちがこの創作演劇をとおしてたどり着いた、解決への糸口でして、修羅場というピンチはチャンスであるというか、このピンチを乗り越えなくては辿り着けない境地のようなものがあると思います。
ピンチに陥ってしまうと、その場の空気に煽られて、そこから好機を見出すことは難しいどころか、不謹慎なようにも感じるかもしれません。
べつに、意図的にピンチを誘発させるべきという訳でもないのですが、
ピンチは起こるべくして起きた、その先には真意がある
と捉えることも、時には重要かと思います。
そういう思考回路を助けてくれるのが、ヘリコプター理論です。(8/100参照)
ちなみに、この創作演劇から見えてきたもう一つのキーワードは
「許し、という自己救済」
です。
奇しくも、この数年後に私はコリン・ファース主演の『レイルウェイ 運命の旅路』という映画で、このテーマと再び向き合うこととなります。
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