ピンチをアドリブで乗り越える技 7/100(The Witness)

自問自答を繰り返しながら、
アドリブと演技の関係を
追求していってみようと思い立ちました。
100回(?!)連載にて、お送りします。


頭上から自分のことを見ている存在

前回は”The Little Fucker”という怪物をご紹介しましたが、
もう一つの重要な存在に、
“The Witness”
があります。

“The Witness”は、あなたのことを守ってくれる守護霊のような存在で、”The Little Fucker”とセットで語られます。

ジェスチャーで表すときは、”The Little Fucker”と同じような手つき(ぬいぐるみの口パクパク)で、自分の頭上から自身を見下ろします。

“The Witness”は自分自身のことを俯瞰して見ている存在で、”The Little Fucker”とは違い、多くを語りません。でも、常にあなたのことを見守っている冷静な意識です。

能を大成させた世阿弥は、これに似たような考えを
『離見の見』
という言葉で表現しています。

りけんのけん

世阿弥が能楽論書「花鏡」で述べた言葉。演者が自らの身体を離れた客観的な目線をもち、あらゆる方向から自身の演技を見る意識のこと。反対に、自己中心的な狭い見方は「我見(がけん)」といい、これによって自己満足に陥ることを厳しく戒めている。現在でも全ての演技にあてはまることとして演者に強く意識されている。

https://db2.the-noh.com/jdic/2013/07/post_377.html

私自身の経験では、能舞台において自分自身の姿を観客席(正面と片側面)から見るというのは非常に難しいです。しかし、RPGゲームのように、自分の姿を少し後方の頭上から見ることが出来ているような感覚になったことはあります。

世阿弥はこの視点を持つことによって、自己の中に留まった状態に陥ることを戒めています。これは5/100で言及したように、ピンチに陥った時に自分に意識を留めておくのではなく、自身の外、相手の状況を傾聴せよ、ということに繋がります。

自己満足な演技は、英語ではかなり下品な表現で”wanking”と言われます。つまり自慰行為、マスターベーションです。演技している実感に満ち溢れていて、正直、非常に気持ちいぃ〜状態なのですが、気持ち良いのは自分だけで、観客にはそれが伝わっていない、もしくはその興奮している状態に見ている方は醒めてしまっています。

商談やプレゼンでも、この自慰行為的な人を目にしたことがあるのではないでしょうか?それを戒めるのが世阿弥の『離見の見』であり、”The Witness”です。

もう一つ重要な役割が”The Witness”にはあります。

例えば、役者が格闘のシーンをしている時、この自分を俯瞰して見ている冷静な視点がないと、非常に危険で、相手の役者に怪我をさせてしまう可能性があります。

どれだけ役に入り込んでいても、自分のことを冷静に見つめることができる、同時に周りの状況をしっかりと把握しているこの”The Witness”の存在がないと、危険を察知できず、重大な事故につながります。まさに、RPGゲームのように、格闘シーンを俯瞰しているような意識が重要です。

ピンチに陥ってる状態においても、そこからなんとか抜け出そうと、自分にばかり意識を埋没させていて、周りが見えていないと、

・大袈裟なジェスチャーで、机の上のお茶をこぼしてしまうかもしれません。
・ドアを開けて入ってきた取引先の社長に気がつけないかもしれません。
・ナイスサポートをしてくれる同僚の意図を見落としてしまうかもしれません。

俯瞰の視点を心がけることによって、周りの状況に傾聴をする余裕が持てます。

そうそう、俯瞰した視点と言えば、『ヘリコプター理論』というツールもありました!


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