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ゴッホ~逝かないで〜『たゆたえども沈まず』読書感想

小説『たゆたえども沈まず』を読んだ。原田マハさんのフィルターを通してだが、19世紀後半のフランスの美術史を楽しめる小説になっている。原田マハさんは美術関連の小説を作る際、必ず現地で取材をしているせいか、クオリティの高さに驚いた。よかったので、とりあえず布教する。

主に出てくる登場人物は、テオ(画商)、ゴッホ(画家)、林忠正(画商)、重吉(画商)。

表現する人が幅を広げるには

ゴッホは画商、牧師など、仕事が合わなくて27歳で画家として生きていくことを決めるが、10年後の37歳で自殺してしまった。彼の絵が評価されるのはもうすぐだったのに......。

繊細で孤高の人だった。良い意味で言えば社会に合わせず個性を貫いた人ではあったが、孤独な故に浮き沈みが激しく傷つきやすかった。

どんなときも描き続け、自分なりの絵の表現を突き詰めていった。定住せず移動し続けたり、日本美術に憧れ浮世絵の画法を取り入れるなど、外からの刺激も取り入れた。

「流行に乗らなきゃ、出遅れる〜!」と周りに合わせるというより、流行しているかしていないか問わず、自分の心が動いたものを自分軸で取り入れている画家が19世紀後半に多かった。だから技術が高く、独自の表現を突き詰めることができたのかもしれない。あと憧れや悔しさが原動力にもなっている気がした。すごい人でも憧れから始まり、真似して吸収するんだなぁと当たり前だが気づかされた。

あと、これさえあれば....ゴッホはもっと生きられたのに。それは友達や仲間、頼れる知人だった。(でもなかなかそううまくいかないよね)

価値とはなにか?

19世紀後半は日本美術がおもしろいと注目された時代だ。アカデミーに関わっている画家の絵がまだまだ評価されているときだが、印象派という従来にない絵の描き方が生まれた。価値が認められるプロセスとは、どんなものなんだろうか。下に「へ〜」と思ったところを引用する。

美術作品は転売されて価値を高めていくものですから。
たゆたえども沈まず 林忠正
自分で価値を見出すことはせず、むしろ他人が価値を認めたものを容認する、それが日本人の特性だ。だから、フランスなりイギリスなりアメリカなり、日本以外の国で認められた芸術を、彼らは歓迎するのだ。

テオとフィンセントの関係

「テオとフィンセントは強い絆で結ばれていた」とよく言われているけど、共依存的な要素もあって、そんな綺麗な言葉でまとめられる関係性じゃない。お互いがいないと生きていけず、同時に負担も感じていたし。

テオがフィンセントの後を追うようにして亡くなって、奥さんのヨーがそれを林さんと重吉に知らせる場面は泣いてしまった。

も〜2人して行かないでよ〜。

次はジヴェルニーの食卓を読む。

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