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迷惑と繋がり

日本は、その美しい景色と清潔さで私に深い印象を与えています。また、日本の人々の勤勉さ、誠実さ、そして静かな性格も非常に印象的です。私が特に素晴らしいと感じているのは、他人に迷惑をかけないように心がける姿勢です。この心遣いは、スーパーマーケットや駅といった人で溢れる場所でも明らかで、皆さんが周りへの配慮を忘れず、静かに行動している姿には、本当に敬服します。大きな駅でも、電車の音や機械の響きが人々の会話を上回り、穏やかな雰囲気が漂っているのは、いつも賑やかなベトナムとは大違い。この違いが、私にとって非常に魅力的で、何とも言えず心地よいのです。

子どもを持つようになってから、日本の母親たちがどのように子どもを育てているかを自然と観察する機会が増えました。特に、他人に迷惑をかけないようにという教えを子どもたちに伝える姿は、公園などでよく見かけます。例えば、他の子どもが遊んでいる滑り台を使いたがる時、日本の母親たちはそれをすぐやめさせます。これは、単に危険を避けるためだけでなく、他の子どもへの配慮からです。また、他の子どものおもちゃを欲しがる時には、「それは相手のものだから」と教え、優しく注意を促します。

このように教育された子どもたちが礼儀正しい大人へと成長していく様子は、その価値を深く感じさせてくれます。しかし、私自身は時々、「迷惑」とされる行動について考えを巡らせます。確かに、危険な行動は避けるべきですが、それだけでなく、どのようにして人と繋がるかという視点も大切ではないかと思います。人々が「これはいけない」「あれもだめ」と頻繁に指摘されると、行動の幅が狭まり、自らを表現する機会が失われがちになります。そして、「迷惑だから」と言われ続けると、何も行動しなくなることがあります。

しかし、少しの工夫で、もともと迷惑と思われがちな行動も、新たな良い関係を築くチャンスに変わるかもしれません。

子どもたちに、自分の行動が他人にどのように受け入れられやすいかを教えることは、彼らの成長にとって大きな意味があります。例えば、他の子どもが持っているおもちゃに関心がある場合、「そのおもちゃ、いいね」と気持ちを素直に伝えることは、良いコミュニケーションの始まりになります。相手の子どもが「一緒に遊ぼうか?」と誘ってくれるかもしれませんし、断られるかもしれません。しかし、少なくとも新しい何かが芽生えるチャンスが訪れるかもしれません。

ベトナムの社会では、他人への配慮や迷惑を避けることを重視している社会と比べると、その傾向がとても薄いです。確かに、明らかに悪影響を及ぼすような迷惑な行動は避けるべきですが、「人に迷惑をかけてに生活する」がさまざまな場面で見られます。見知らぬ人に対して小さな頼みごとをしたり、話しかけたり、助けを求めたり、さらには褒め言葉を交わすことは、ベトナム社会では自然で日常的な風景です。

例えば、美しい女性やハンサムな男性に「きれいだね!」や「イケメン!」と声をかけることは一般的で、多くの場合、相手もそのような言葉を喜んで受け入れます。また、バスや電車で隣に座る見知らぬ人と自然に会話が始まることもしばしばあります。私自身も、大学時代にハノイから実家への帰路で利用したバス内で隣の見知らぬ人と会話が始まり、気が合えば連絡先を交換することもありました。これらの出会いが時には恋愛や結婚に発展することもあります。実際に、高校時代の友人は、自転車で帰宅中にサッカーをしていた男の子から声をかけられたことがきっかけで恋愛に発展し、後に結婚して現在は二人の子供と共に幸せな家庭を築いています。

他人に配慮することは非常に大切ですが、同時に人とどのように繋がるかを考え、実践することで、新しい出会いや楽しい瞬間を生み出す可能性があります。文化や性格を短期間で変えるのは難しいかもしれませんが、小さな一歩を踏み出すことで、より豊かな人間関係を築くことができるでしょう。


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