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音楽家が真の快楽を得る方法【音楽家コーチング】

快楽

トレイルランニングで標高500メートルまで走って到着ました。これは実際に神奈川県の大会で経験しました。良い眺めでした。

横にケーブルカーで到着したカップルが同じ景色を見ていました。

さあ、どちらの快楽が上でしょう。つづきを読む前に自分の結論を出してくださいね。

簡単にすると

もし、登山だけで考えて、頂上まで歩いて登った人と、ケーブルカーで登った人で比較するなら、前者の快楽の方が上と考えられるでしょう。

これはジョン・スチュアート・ミルの言う量的な快楽は同じでも、質的な快楽は違うということです。

でも先述の例だとよくわからなくなります。その理由は「カップル」という変数が一つ追加されるからです。

自分の基準で比較する

個人的に感じたのはこんな場所にカップルで来るぐらいならトレイルランの方が質的に上だと感じました。これは私の基準です。

でも、一緒に走っていた人が「いいなぁ、こんな風にカップルで楽しんでるのに俺たち汗だくになって何やってんだろ・・・」と言っていました。これは彼の価値基準です。

絶望

価値観は人それぞれだから良い・・・と考えると死にます。

私は19歳の時に大学の課題で、「他人の曲から着想を得て曲を書いてくる」というのがでました。当時はキルケゴールに傾倒していたので、『existentialism(実存主義)』という名前にしました。8分の8.5拍子にアレンジした曲は大ブーイングで誰にも受け入れられませんでした。しかも教授にまでボコボコに言われました。(数年後ニューヨークで喝采は頂きましたが)

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皆の価値観に合わせて生きるというのは、本来の自己を失うことになり、これを「絶望」とキルケゴールは呼んでいます。そして、この「絶望」は死に至ると述べています。100%同意します。

先述の滑稽発言

先述の一緒に走っていた人が

「いいなぁ、こんな風にカップルで楽しんでるのに俺たち汗だくになって何やってんだろ・・・」

と言っているのに問題があるのが分かるでしょうか?

「俺たち」と、対象を他の人にまで広げている部分が問題です。こういう人間が、普遍的な価値にとらわれない幸福な「例外者」を受け入れない社会を作っているのです。

自分にとっての真の質

自分の価値基準にあう「質の高い快楽」がなにかが明確になっていれば、人と異なっていても、真の快楽を得ることができます。

難しい言葉を使わずに3ページ読んで実践できるワークを、あ、もう150個になっていますね。急いで追いついてください!

津本幸司

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