音楽家の宗教的スタンスについて
はじめに
まず、私、津本幸司は無宗教です。この記事では特定の宗教を擁護することも批判することもしません。共感を欲する目的ではありません。デリケートであるため、知性的な方のみお読みください。一部の知っている文字から理解を組み立てようとすると崩壊しますのでご注意ください。
教育背景
遺書には私が死んだら葬式はせずに献体に回すようにしますが、やるとするなら恐らく仏教、浄土真宗の葬式になると思います。しかし、南無阿弥陀仏を唱えるだけでなく、般若心経も暗記しており、禅も生活に入っています。長年海外でキリスト教教育を受け続けています。さらに、イランにてシーア派のイスラム教教育も3年間受けています。
俯瞰
どの宗教に傾倒することもなく、宗教の存在と歴史的な流れを俯瞰し、音楽と言う文化に与えた影響、音楽をどのように利用してきたかを考えると、人々の深層心理が見えてきます。
特にロシア
19世紀ロシア文学とロシア音楽マニアの私は同時期の神秘思想にも共感します。同意とは別です。ヘレナ・プラヴァツキー、アニー・ベサント、クリシュナムルディ、そしてルドルフ・シュタイナー・・・つまりは神智学においての思想に納得します。
注意
ここまで述べるとあたかもオカルトを支持するような流れになるので、書き方を注意すべきなのですが、このような思想や運動の発端と流れと結果を、客観的に理解しているという意味です。
私の専門は心理統計ですので、自然科学の合理性と相反する思想世界を自然科学で理解するという流れです。
例えば、意味不明なオカルト宗教が出てきて、その思想の発端と、その教祖陣の心理、入信者の心理と、勧誘のテクニックと、その教団の末路に至るまで行動科学的にゲームの流れを観戦するようなイメージです。
音楽に
キリスト教がなければ今の音楽は異なった形になっていたはずです。ドストエフスキー文学も生まれなかったでしょう。大江健三郎も村上春樹もいない世界にロシア音楽は生まれてたのでしょうか。彼ら天才達の小説とニューエイジの違いすら私には分かりません。しかし、全ての宗教を
「もしも、こうだったら」
と、ドリフのコントのように捉えることで自分の音楽に反映させることができるのです。
表面
長年音楽制作において、表面的な音楽技術ばかりがフォーカスされてきました。確かに音楽技術面でも手を抜いていませんし、こだわった一部ではあります。そして、その肯定的な意見と、それに見合う報酬に不満を漏らすこともしていません。
わかりやくす例えましょう。
あなたが自力で大工仕事をして家を一軒建てたとしましょう。すると、専門家を名乗る人達が
「この窓ガラス綺麗ですね」
観衆が
「ほんとだこの窓ガラスは絶品だ」
「この窓ガラスを見るのにお金を払おう」
なんとなく分かるでしょうか?
不遇をかこつことになるのでここでやめておきます。
最後までお読み頂きありがとうございました
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