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音楽学校(音大・専門・教室)に行っても音楽家になれない本当の理由

音楽家になれない

音大に行っても、音楽の専門学校を出ても、音楽教室に通っても、どんな先生に支持しても9割の人が音楽家になれません。

この理由を組織のせいにするのが昔の定番です。「あんなスクール行っても無駄だよ。ちゃんとした専門学校に行かないと」とか、「音大じゃないと意味ない」とかいいます。

これは一流音大の中でも言うのです。他の大学様をディすると良くないので母校で言うと、バークリー音楽大学では「バークリーなんて今時行ってもなかなかプロになれないよね。行くならニュースクールか、フロリダだよね」とか、「東京藝術大学は今はダメだね。桐朋の方がレベル高いよね」と、内部の学生達が口を揃えて行っています。

違う

理由は組織の善し悪しじゃないのです。自分なのです。

こんな悩みはありませんか?

  • 音楽学校(音大・専門・教室)を出ているのに音楽で生計が立てられていない

  • まともな音楽教育を受けてないから音楽で生計が立てられないと思っている

  • もう10年以上下積みをしているが一向に目が出ない

  • 毎日頑張って学習しているのにどこにも向かっていない

  • 生活のために音楽のために働かざるを得ない状況である

皆が同じ痛みです

上記のどれかに当てはまったら「自分だけ」と思わなくて大丈夫ですよ。皆同じ悩みを持っています。そして、私は世界中の学生達から音楽家志望の大人を見て来ましたが、これは世界共通の悩みですから安心してください。

でも、安心するのは「自分だけじゃない」ということだけですよ。音楽家になっていないことに安心してはいけません。

解決策

この自分の問題が何か?という部分を明確にしなくてはいけません。その問題とは

「考えたことがない」

ということです。これに反論できますか? できるなら音楽家として生計を立てられているはずです。

音楽家としてどのように生きるべきか、自分はどのスタンスが合っているかを考える必要があります。

例を挙げると「果物を食べたい」という欲望があるのに「食べたことがない」のは、「どのような果物を食べたいか」を考えたことがないからです。ご近所のオバさんが突然持ってきてくれるのを待っていてはいけません。

さて・・・

「どのような果物を食べたいか」を考える場合、そもそも「どのようなチョイスがあるのか」を知る必要があります。真夏にミカンをチョイスに入れるのも、春先に巨峰を選択するのもおかしいのです。今の自分にはどのようなチョイスがあるかを明確にするべきです。果物程度だとネットで検索すればいいでしょう。

しかし、音楽家としての生き方だと誰かに教えて貰わないといけません。

音楽哲学

それが音楽哲学です。音楽哲学とは音楽の哲学とはことなります。音楽家としての哲学という意味です。この中にどのようなチョイスがあるかが分かれば「自分はこれで行く!」というのが決まります。たとえ失敗しても「だったらこう生きる!」と別をチョイスすることができます。

つまり、真夏に「自分はミカンを食べる!」と間違って決めてしまい、間違いに気付いたら「だったらスイカにする!」と大当たりを引くことができるのです。

まずいパターン

ヤバいのは果物の種類があることすら知らずに、それを知ろうともしないことです。これは助けられません。一生果物にありつけません。

まとめ

アナタの音楽家としての音楽哲学はどれを選ぼうとしていますか?

いつか面談時にでもお聞かせください。

今年は9月にそのチョイスを指導するセミナーを開催しますので、ご興味ありましたらお越しください。詳細はこちらから

よろしければ書籍もご利用ください。

最後までお読み頂きありがとうございました。
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津本幸司

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