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音楽家が生きる意味がすぐ分かる

見てください

以下の絵をどのように思いますか?

これを見て、「背景に地球があって、女の子がヴァイオリンを弾いている」と、思っている人は少し注意が必要です。

こう思っている人は、恐らく他の人がこの絵を見ても「同じように見えている」と考えているからです。

正解は

このヴァイオリンは女の子によって弾かれており、背景には地球があり、その背景には黒い宇宙があり、その背景にはこのnote記事の白い背景があり、その背景にこの記事を見ているサファリなどのブラウザーがあり、その背景にスマホやPCがあり、その背景にそれを手に取っている自分の手があり、その背景に電車内でしかめっ面してるオッサンの顔があり、その背景に電車の座席があり、その背景に電車の壁があり、その背景に過ぎゆく街があり、その背景に空があり、その背景に・・・・と無限に繋がるのです。

全体主義的認識

前者のように「背景に地球があって、女の子がヴァイオリンを弾いている」と捉えてしまうと、真実というものが一つ存在して、それは誰にとっても当てはまるものであり、その他の考え方や見方は「間違っている」と考えてしまいます。これが全体主義的認識です。

これは音楽家が「科学」だけを基準に生きてしまっている証拠です。これでは芸術に携わる人間として失格です。音楽家として生きる意味がありません。

学校に行くべき、就職すべき、働くべき、皆と仲良くすべき・・・という真実があり、その他の行動は全て間違いだと考えているようなものです。

その結果、学歴のない自分はダメ、実績のない自分はだめ、ブサイクな自分はダメ、実力のない自分はダメと感じてしまいます。

民主主義的認識

屁理屈のように述べた正解の文章は、同じ対象物でも「受け取り方が千差万別である」という意味です。

昔ヴァイオリンをやっていた寝たきりのおばあちゃんが病床でこの絵をみたら世界はガラッと変わるのが分かるでしょうか?

誰ひとりとして同じ対象を見ていないのです。誰ひとりとして同じ意味を持っていないのです。

そして、それぞれが正しいのです。優劣を付ける必要もないのです。これが民主主義的認識です。

民主主義的認識によって、全体主義的認識の人達が「自分なんて」と相対的に悲観的になる状態から抜け出すことができます。だって、比較する必要ないわけですからね。

まとめ

繰り返し述べていますが、個人的にメイヤスー、ハーマン、ガブリエルは使えないと思っていますし、(一応全員の全書籍は何度も読みました)特にガブリエルには総合的に反対です。でも、上記の芸術に対するガブリエルの主張は同意します。

向こうは芸術家ではありませんので、「金魚鉢の外」から「金魚鉢の中」を論じているのですが、こっちは音楽家ですので「金魚鉢の内部」から「金魚鉢の外」から「金魚鉢の中」の議論に同意しているのです。

ご自身で考えられる音楽家はどうぞお読みください

しかし、1500年から2020年辺りまでの誰が誰にどのように批判と同意をしてきたかが頭に入ってないと文字を追っているだけになります。Amazonの評価を読むと嘔吐したラーメンの糖質に集るアリのように見えます。

もし、この状況が悲惨と感じるなら自分の生きる意味を作り出せる音楽家だと思います。心から応援しています。

津本幸司

募集はまだまだですが2024年9月に「音楽哲学セミナー」開催予定です。乞うご期待。(先行情報希望の方はHPより)

サポート頂いた分はありがたく執筆活動に使わせて頂きます。