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#39 『巣箱とセレンディピティ』

2024年1月某日

実家の父親が、庭にある楓の木に手製の「鳥の巣箱」を据えていた。なんなのかと聞いてみると、「何かの縁で鳥でも住みついてくれたら、庭の景観がよくなるだろう」とのことであった。粋な発想なのか、単にセコいだけなのかはよくわからないが、とにかく父親は楓の木に鳥が遊びに来るたびに、「よしきた、いけっ!いけっ!」と、まるで競馬場の最終コーナーのような奇声を発している。鳥は、いっこうに入らない。

さて、思えば、アイデアとかセレンディピティなんかも、「こい!降ってこい!」などと力んでいると寄ってこないものだ。偶然性に身を任せて、しなやかに暮らしていると、たまにフッと顔をだす。そんな感じだ。では、それらと意識的に出会うには、どうすればよいだろうか。

筆者の提案は、偶然を誘い込むための行動習慣を心がけることである。具体的には、日々の生活の中で「目的・結果」のみならず、「過程」にむしろ重きを置くとよい。例えば、なにか問題意識があったとする。そのため、amazonで関連書籍を検索して、自宅に届き、読む。このプロセスは非常に単線的で、短く、早い。だからこそ、目的に対してタイパが良い。

一方、該当書籍の在庫があるかわからない本屋を訪れ、取り扱いがなくて、しょうがないから文房具を見たりして、一目惚れしたクロッキー帳を買って帰ったとする。その後、クロッキーをかっこよく使いたいなあ、とか思ってマインドマップなんか書いたりして、結果、当初の問題意識の背景や仮説を得る、みたいなこともある。このプロセスはぐねぐねしていて、長く、遅い。ただし、アウトプット(知識的出力)が大きいので、目的に対するタイパでは合理的なプロセスにひけを取らないかもしれない。

単線的なプロセスも、ぐねぐねしたプロセスも、両者メリ・デメがあり、一概にどちらがよいと結論づけることは難しい。ただし、目的に近づくまでの「道のり」が無味乾燥なものよりも、色気があったほうが楽しいだろう。さらに、楽しくご機嫌な人には、アイデアやセレンディピティなどの偶然の産物がご褒美として待っているはずだ。肩の力を抜いて、柳のように生きましょう。鳥さんもよかったから寄ってください。

ほなら。



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