#38 『少ないコーヒー』
2024年1月某日
最近コーヒーを飲むことが増えた。朝、自宅ではほぼ毎日インスタントコーヒーを飲んでいるし、外出の途中ではコンビニコーヒーを買ってばかりいる。さらに、打ち合わせの最中にもコーヒーを出していただくこともある。ちょっと飲み過ぎなきらいもある。こんなにも沢山コーヒーを飲んでいると、豆の産地や淹れ方などにも興味が湧きそうなのだが、筆者は「ド素人」の領域から脱却できていない。
…
さて、コーヒー素人ゆえに気になることがある。「エスプレッソ」というやつである。ちょっと大きな都市の良さげな喫茶店などに入ると、メニューの中に凛と佇んでいるあいつである。「ほな、エスプレッソで。」とか頑張って注文してみるも、サイズを選択するフェーズで「シングル」「ダブル」という聞いたことない単位が登場し、結局モタモタしてしまう。イタリアの文化をまとった大人になるには、まだまだ時間がかかりそうだ。
驚愕するのはこの後である。なんだか少ないコーヒーが出てくる。ちょっと「量が少ないお店なのかな。」では済まされない少なさである。筆者がエスプレッソの意味を学習するのは、ほんの少し後になる。
コーヒーとエスプレッソの特徴をふまえると、両者は提供価値が若干異なるように感じている。筆者は、コーヒーからは「熱々で、ちょっと苦くて、ほっと一息安心する体験」を強く感じている。なので、その体験時間の尺を確保するだけの"量"は欲しい。一方、エスプレッソは「凝縮した豆の香りや成分をパッと取り込み、一気にリフレッシュする機能」が魅力なのだと思う。少量ゆえに、"時短"の価値も提供していると言えるだろう。
コーヒーは「情緒的価値」、エスプレッソは「機能的価値」という、ぞれぞれ異なる価値特性を帯びていると感じる。気分に応じて選択していきたい。それと、次は、もう少しスマートに注文できるようになりたい。
ほなら。
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