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ビーツ・パー・ミニット


テユタオイシューの中の人の朗読を聞きながら読めます。


 慣れない新宿で遊んだ帰り、ツイッターを見ながら、やっぱり安倍政権は最悪だなと思う。報道の自由度が数年前からかなり下がっている、という内容のツイートを見て嫌な気持ちになる。友達が「日本はもうダメだけど好きだからどうにかよくなってほしい、」ってツイートしていたことを思い出す。もう本当にこの国はおしまいなんだろうな、野党も頼りないし、なんて思いながら、耳をふさげる曲を探す。耳をふさぐために音楽を聴くことがある。人の声も電車の音も街の音も、うるさくて疲れてしまうから、それが聴こえないように、大きな音で好きな音楽を聴く。考えるのをやめるために音楽を聴く。自分の人生も生活も難しくて、考えないといけないことが無限にあるから、それをたまに止めて脳に休んでもらうために音楽を聴く。

 ──────── 中学三年生のクリスマスプレゼントはウォークマンだった。サンタさんがくれたので確証はないのだけど、多分父親が選んで買ってくれたのだと思う。背面にミッキーとミニーのイラストと、僕の下の名前が白い文字で入っている金色のウォークマン。ウォークマンがあってよかった。もしウォークマンがなかったら、高校生、大学生の時の僕はもっとダメージを受けていたのだと思う。あのとき、特にリクエストしなかったクリスマスプレゼントに、ウォークマンを選んで与えてくれた父。10年近く使ったウォークマンは、音楽を通して僕にベールをかけてくれていた。僕の心身を災いから遠ざけるまじないのベール。父親はウォークマンのことを、機械仕掛けのお守りだと思って与えたのではないけど、親は子供に、知らず知らずのうちに魔法をかけているものだ。必ずしもそれはいい魔法であるとは限らず、つまり呪いであることもあるけど、人間関係って、特に親と子の関係ってそういう感じ。社会人二年目、春の通勤途中、歩道のアスファルトに結構な勢いで落としてしまい、開いてはいけないところが半開きになって、死んだ貝みたいにパカパカするようになってしまったりとか、Apple純正イヤホンの端子の形が変わってしまい、イヤホンをiPhoneと共有できなくなってしまったりとか。そんなこんなで使わなくなってしまった。いまはApple MusicとiPhoneで音楽を聴いている。聴きたい音楽をいつどこにいても聴くことができるのは素晴らしい。文明よ、永遠なれ。────────

 大橋トリオの『traveling』を選ぶ。宇多田ヒカルのカバー。友達に連れて行ってもらったバーで流れているのを聴いて、ああそういえばtraveling歌ってたな大橋トリオ、実は一人でやってる大橋トリオ……って思い出して、このところ頻繁に聴いている。音楽のことは詳しくなくて、それが何の音かも分からないけど、音の粒が転んですべり込むような曲の入りが気持ちいい。travelingは聴いている人をここではないどこかへ連れて行ってくれる曲だ。大橋トリオVer.は宇多田ヒカルVer.と比べて、少しテンポが遅いけど、ゆっくり歩くのにはちょうどいい。そういえば宇多田ヒカルの曲は、歩くくらいの速さのものが多いような気がする。僕は活動休止前の宇多田ヒカルは、タイアップ曲くらいしか聴いたことがなかったので、僕が知っているくらい有名な曲ほど歩くくらいの速さのものが多いんじゃないかと思う。歩くために作られているんじゃないか、とも少し思っている。椎名林檎がいつかのインタビューで「通勤途中に駅構内を闊歩するのにちょうどいいからBPM120の曲つくりがち」みたいなことを言っていたけど、それと同じなのだろうか。宇多田ヒカルのバイオリズムというか。歩くのが早いことをよく指摘されるけど、椎名林檎のバイオリズムに影響されているからなのか。でも、椎名林檎のバイオリズムは、すなわち僕の、ファンのバイオリズムなのだから、何も気負う必要はない。確かに僕も、通勤のときはBPM120くらいで歩きたい。ありがとう椎名さん。通勤前の『労働者』。プレゼン前の『都合の良い身体』。五月の夜、終業後の『ブラックアウト』……。キリがない。

 早く歩くと、嫌なことを忘れやすくなるらしい。そうだと思う。嫌なことを忘れるために、よく歩く。音楽を聴きながら、リズムに合わせて、歩く。そうすると、下半身に意識が持っていかれて、上半身の力が抜ける。頭の力も抜けてくる。嫌なことを忘れるために、脳の力を抜いて、音楽のリズムに合わせて足を前に進めるのだ。行ってしまいたい。ここではないどこかに。これから電車に乗って家に帰るのだけど、家に着くまでは、落ち着く場所に辿り着くまでは、ここではないどこかに居たいと思うから音楽を聴く。新宿の知らない喧騒も、渋谷の馴染みの喧騒も、生活と政治の煩わしさや絶望も、今はなかったことにするためにこの耳をふさぐ。歩調をBPMに合わせて歩く。心臓の拍動を曲に合わせる。


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