ド素人が考える、推理小説で大切な1つの心得


 映画『シャーロック・ホームズ』、『シャーロック・ホームズ シャドウゲーム』。
 スティーヴン・キングさんの短編『ほら、虎がいる』のネタバレが含まれます。
 苦手な方はお戻りください。





 私は推理小説を描いたこともなければ。
 推理小説を多く読んだこともありません。(そもそも読書が苦手です)

 それでも、推理という要素が好きみたいです。
 好きなのですが……。
 これまで私が見た作品は。

 古典部シリーズ、名探偵コナン。
 映画の『シャーロック・ホームズ』と少年探偵ブラウン。
 遠い昔、読書感想文を描くために読んだ、アガサ・クリスティさんの話。

 この程度のド素人ですが……。
 ド素人だからこそ、わかることもある。
 私が気づいた大切な1つの心得。

 読者に伝えること


 なんとかの十か条の十戒とか。
 そんなものより、この伝えることが守られているのか。
 それが怪しい作品だと読む気も観る気も失せます。

 まず、知っておいて欲しいのは――。

 自分が名探偵で在りたい

 そういう動機で推理小説を読む人もいるということ。
 むしろ、それ以外で読むことってあるの? と思ったり。

 すみません、違う動機があるのなら。
 是非、教えていただきたいのですが。

 今回は、自分が名探偵で在りたい、という動機で描かせてもらいます。

 これは、あのホームズさんですら。
 まだ気づいていないのに。
 ほぼ全てわかった! という具合が理想なんです。

 しかも、ホームズさんが全力を出しているのに。
 ホームズさんにはわからず、読者の自分はわかった。

 これは凄く難しいです。
 誰にも解けない難解な推理小説を描くより難しいと思います。
 読者を名探偵にする話は。



 そう思い考える私が驚いたのが。
 『少年探偵ブラウン』という作品です。
 児童向けの推理小説で、短編で構成されていました。

 たしか、私が中学生の時に読んだのですが。
 一つの事件後の解説を読んでいくうちに。
 「今回はこうだから、こうなるのかな」と予測できるようになりました。
 そうなると読書が苦手の私でも、あっという間に読み切ることができました。

 次は? 次は? 次は?

 と引っ張られる感覚です。
 信じられないかもしれませんが。
 人にとって、わかる、というのは嬉しいもので。

 犯人がわかったとか展開が読めた

 それらは最大の褒め言葉だと思います。
 作家として一番必要な力だと思います。
 伝えたいことが伝えられているわけですから。



 そして、この少年探偵ブラウンで得たものは。
 作者は鍵になる情報をどこかに置くものだということ。
 推理小説ではありませんが、スティーヴン・キングさんの短編。
 『ほら、虎がいる』もそれは巧みでした。

 学校のトイレに虎がいたって話ですが。
 主人公がトイレに入った時は塩素の香りがした、そう描写されていました。
 そして、トイレに虎がいることに気づき、同級生が虎をからかいにトイレに入った後、主人公が確認すると。
 塩素と切断されたばかりの銅の香りがした、そう描写されていました。

 恥ずかしく笑える話ですが。
 私が最初にそれを読んだ時、その意味がわかりませんでした。
 たった10ページほどの短編だったのに。
 よくわからず読み終えてしまい、「何か変だな」と読み返して違いに気づきました。

 最初の描写は、塩素の香りがするトイレ。
 同級生が入った後は、塩素と切断されたばかりの銅の香り。
 私は人体の香りなどよくわかりませんが、それに近い香りなのでしょう。
 つまり、この追加された、切断されたばかりの銅の香りが重要だったわけです。

 本当に笑える話ですが。
 10ページでも物語になるとこの違いを見落とすものです。
 切断されたばかりの銅の香り、って描くのは簡単ですが。
 物語の中からそれを探し出すのは。
 砂や干し草の中から針を探すようなものです。


 主に推理小説……推理小説でなくても。
 作者と読者は違う他人で、読者にとって作者の知識や経験は未知のものです。

 少年探偵ブラウンで描かれた雑学。
 たまごは生卵よりゆで卵の方がコマのようによく回るとか。

 ほら、虎がいるで描写された香り。
 トイレの香りは塩素で、人体は切られた銅の香りがする。
 (私はトイレのあの香りが塩素だって知りませんでしたし、人体が切断されたばかりの銅に似た香りなのかは今も知りません)

 映画版のシャーロック・ホームズ。
 そこで披露された化学知識や手品の仕掛け。

 そういうを知っている読者もいるのかもしれませんが。
 知らない人が多いわけで、そういう人にどう伝えるか。
 どう、「何か変だな」と気づかせるか。
 それが重要だと思います。



 『リボルバー』って映画にありましたが。
 読者に駒を取らせるわけです。

 ゲームやペテンには仕掛け人とカモがいて。
 カモはゲームを支配していると思うが。
 実際は支配されている。

 この映画は推理ものではありませんが。
 多くの推理小説以上に伝え方が上手いと思います。

 さすが、ガイ・リッチー監督。
 何度か観終えると驚くほど丁寧に鍵が置かれているのに。
 最初観た時は、話を理解するのに精一杯で。
 なかなか、それに気づけなかった。

 それでも、観終えた後に「何か変だな」と感じさせ。
 何度か観させて、自分の中で自分の答えが構築されていく。
 見事な演出だと思います。

 他にも『オーシャンズ11』。
 あれも映画の中に全て鍵があったのに。
 最初に観た時は気づき難く、観終えてから観るとちゃんと気づける。
 わかりやすい違和感を演出していますが。
 初めて観る物語でそれに気づくのは難しい。

 一方、『オーシャンズ12』、あれはダメです。反則です。
 制作サイドとしては、あれでもフェアに鍵を置いたつもりかもしれませんが。
 観た人が知り得ない、とんでもないところに重要なものを潜めておくのはつまらないです。

 Wikipediaのノックスの十戒でいう。

 八条、探偵は、読者に提示していない手がかりによって解決してはならない

 それが見事に守られていない話でした。(オーシャンズは推理ものではありませんが。話としてないです)
 あれをやっていいなら誰にだって、解けない難解の物語の出来上がりです。

 余談ですが……。
 今の私から言わせれば、古典部シリーズも名探偵コナンも。
 これが怪しいです。しっかり提示できているとは言い難い。

 絶対、読者の裏をかいてやりたい!

 だなんて、思いではないのでしょうが。
 少なくとも言えるのは、見終えて脱帽です、とは言えないことです。

 スティーヴン・キングさんのタイトルの方が。
 参りしました、と思うことが多々あります。

 『IT』しかり『スタンド・バイ・ミー(死体)』しかり。
 『ショーシャンクの空に(刑務所のリタ・ヘイワース)』しかり。

 この話でこのタイトルをつけますか!?
 そう驚くほどに真っすぐです。

 特に、『スタンド・バイ・ミー(死体)』は。
 別の話題でも触れましたが、個人的には死体の三段活用。
 死体という概念を隠すことなく、堂々と話の中に置きながら。
 ほぼ気づかずに素通りしてしまう、そういうホラーの帝王の奇術。

 強烈強力なゼロインチパンチ。

 ですが、キングさんの作品やガイ・リッチーさんの映画とか。
 他にもいい映画を観て気づいたことがあります。

 話を作る側、いわゆる探偵にとって。
 話の答えは単純で1行で説明できるものです。

 『リボルバー』って映画なら。
 主人公が脱獄する話。
 『スタンド・バイ・ミー(死体)』なら。
 死体探しの旅に出た少年達の話。
 『ローン・レンジャー(2013)』なら。
 少年がマスクをつける話。

 ですが、映画ならこれを1時間以上に膨らませるわけです。
 小説なら少なくとも10ページ以上に膨らむのでしょう。

 そうなると、いくら丁寧に親切過ぎるほど。
 この単純な答えへ導くようにパンくずを置いても。
 多くの人は、それに気づかず結末に辿り着いてしまいます。

 考えてもみてください。
 自分は自分の物語なので、どこに鍵を置いているか。
 それを完全に熟知していて、これじゃ「簡単過ぎないか?」と不安になるのかもしれませんが。
 追いかける読者は、物語の全体図を理解しようとするので精一杯なものです。

 例え、それが。
 裏切り者の航海士に託された一発の弾丸を返す話。
 そういう単純な話ですら。
 3回観ても、まだ全体図が理解できなくても不思議ではありません。

 ましてや、推理小説の場合。
 もっと話が複雑になりがちなので。
 自分が不安になるくらい丁寧に伝えようとしないと伝わらない。

 というより、隠そうとすればするほど、案外見抜かれたりして。
 最悪、その話が八条違反だとも察してしまう。

 作者は読者に提示していない手がかりによって解決してはならぬ

 この八条の内容。
 覚えていた方います?
 ちょっと前に出した情報ですが。
 こういう情報ですら記憶には残り難いものです。

 100ページもある話の34ページ頃の情報が。
 87ページ頃の解決編で使われる……だなんて読者には圧倒的に不利過ぎます。
 仮に、34ページと58ページ、二度出しても気づくか怪しいでしょう。

 基本、作者って犯人が勝つゲームなんです。
 なぜなら、答えを知っていて、どこに鍵を置くかも決められる。
 そして、物語として様々な場面を作りページを引き延ばせる。

 小学校の時にやったかもしれない。
 同級生とのなぞなぞのゲームとは違います。
 あれは問題を伝えるのに1分もかかったら成立しないので。
 誰にだってわかって、解けるものが問題になります。

 ところが、物語となると。
 この簡単ななぞなぞですら難問になってしまいます。
 それくらい、作者有利だからこそ伝え方が大切になる。

 読者に駒を取らせ探偵にする。

 そうしようとすればするほど。
 不思議と伝わらないものです。

 わかりやすいところに鍵があるのに。
 全く気づかない。

 今、手元にその映像がないのが残念ですが。
 『シャーロック・ホームズ シャドウ ゲーム』。
 あの映画のラストでホームズさんがどこにいたか。
 気づいた方いますか?

 壮大なネタバレで申し訳ないですが。
 この動画の1分50秒頃からです……サムネでわかりますが。
 それでも――。

 もちろん、私は気づきませんでした。
 ですが、姿が見えて思ったのは……さすが、ガイ・リッチー監督。
 なぜなら、あれは序盤でホームズさんが研究していたカモフラージュスーツだったからです。(柄は違いましたが。たしか序盤のはジャングルようだったような?)

 忘れているものです。
 ハラハラドキドキのアクションシーンを観ていたら。
 その合間にある、些細な会話や場面など。

 ですが、ささいなことが重要である。

 最大の鍵は思いがけぬ場所に置いてある
             S・ホームズ



 すみません。
 あまりに永く描き過ぎてしまいましたが。

 とにかく、推理小説……推理ものに限らず。
 物語における大切なもの、唯一の心得は。
 読者に伝えたいことを伝わるように伝える。

 私も現在、アマガミの二次創作的な話を描いていて。
 そこだけを大切にしています。
 それでも、甘いかもしれませんが。
 やっぱり、伝えたいことが伝わらないと話として意味がない。

 洋画を多く観て、少しずつ本を読んで。
 自分で文章を多く描いて、そう実感しています。

 けっきょく、物語とか話ってのは。
 誰かとの会話の延長。

 驚かせようとしたり。
 面白いって思われるより。

 とにかく、伝えたいことが伝わるように徹する。

 ですから、十戒の八条違反など。
 作家としての信頼を失うもの。

 誰が読みますか?
 明かされていない手がかりを持ち出してきて。
 ドヤっとする人の話を。

 あるいは、立派な写真を載せておいて。
 その紙の下に見えないくらい小さな文字で。

 なお写真はイメージであり。
 実際の商品とは異なるおそれがあります。

 だなんて責任逃れの自己保身に走る。
 それに徹して、言い訳だけが上手い。
 そういう面倒くさい人の長ったらしい話を。


 あっ、最後についでですが……。

 九条、サイドキック(相方、相棒)は、自分の判断を全て読者に知らせねばならない。
 また、その知能は、一般読者よりもごくわずかに低くなければならない。

 というのは――。
 むしろ、探偵役にこそ必要な掟だと個人的には思います。
 探偵の場合、その知能はごくわずかだけ高い、と。

 私がそう思うようになったのは。
 映画版の『シャーロック・ホームズ』でした。

 映画で起きる事件。
 それらは、私には全く理解できないものでしたが。
 映画版のホームズさんも同じだったようで。
 相手にコテンパンにされます。

 ですが、諦めません。
 残された証拠と自慢の知識を活用し。
 自分の失敗から、相手のトリックを見抜きます。

 1作目も2作目も。
 相手に追い詰められる展開でした。

 その方が盛り上がるから。

 というありふれた理由より。
 あのホームズさんですら、わからないものはわからない。
 意外と私みたいな凡人と違いはない。
 もちろん、私にはない科学知識とか教養がありますが。
 基本的には同じように思える。

 ただ、私との大きな違いは。

 諦めないこと。

 たった、それだけの違いで。
 こうも違うのか、と痛感しました。
 ほんの少しだけホームズさんの方が上だから。
 私にはもの凄く眩しい存在に思える。

 コナン君や折木さんは。
 読者の自分には全く理解できないこと。
 それを簡単に理解していて、どこか遠くの存在に感じますが。

 不思議と映画版のホームズさんは。
 身近な存在に感じてしまうんです。

 だからこそ、推理パートも夢中になれる。
 もしかしたら、自分にだって解けるんじゃないか?
 諦めなければ、何れ私もホームズさんみたいに見抜けるんじゃないか?

 そう思わせるように駒を置いておく。
 その駒を取れたら作者の支配下にあるようなもの。

 ゲームやペテンには仕掛け人とカモがいる。
 カモはゲームを支配していると思うが。
 実際は支配されている。

 もし、自分がカモられていると気づけば。
 自分がカモる側になれる。

 そのためにも。
 九条、探偵の知能は、多くの読者よりもごくわずかだけ高いに留めるべし。
 なぜならば、あまりにもかけ離れていたら。
 そもそも、一緒に走ろうとは思わないから。

 推理小説は読者を探偵に仕立て上げることから始まる。
 そのために、伝えたいことを伝えるように徹する。
 それが読者を支配下に置く秘訣。

 人は難解な物語よりも。
 わかりきった事実、認めたくない事実。
 それをどんなにわかりやすく丁寧に伝えようとしても。
 その事実を難解な事件よりも難しく歪めてしまうから。

 下手に隠そうとするよりも単純丁寧な方が難解。

 こんなところに鍵なんてない。
 この場面、話に答えなんかない。

 そう気づいている答えから目を背けたくなる。
 自分が探偵に仕立てられていることを。

 まさか、自分が偉大なホームズさん。
 だなんて認めるのは恐くて怖ろしい。

 汝、自身を知れ、アンダーソン君。

 とにかく、伝えたいことが伝わるように。
 これが一番大切な心得だと今の私は思い考えています。

 ド素人だからこそ。
 読書が苦手な私だからこそ。
 そう思い考えます。



 それでは、また次の機会にお会いしましょう。













この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?