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ファシリテーターが着目すべきは「意見の対立」ではなく「論点の乱立」 【対話力#9】

今回も前回に引き続き「理解力」をテーマに語っていく。

キーワードはズバリ「論点」。とりわけ「論点の乱立」について掘り下げていきたいと思っている。


一対一の対話でもそうだが、特にグループでの話し合いの場合、議長やファシリテーターが気にするべき、もっとも重要な視点は


論点はどこにあるのか?


だと私は思っている。

会議でも、ミーティングでも、それこそ「SNS上の言い争い」にしても、いろんな人がときに激しく言い合っているが、そこで起こっているのは「意見の対立」ではなく、「論点の乱立」というケースがけっこう多い。



先日、小さな子どもが虐待を受け、亡くなってしまうという、じつに痛ましい事件があった。記憶している人も、胸を痛めている人も多いだろう。

たとえば、この事件で「なぜ児童相談所は正しく機能しなかったのか」という話をしている人に対して、「そうは言っても、一番悪いのは父親だろ!」と激しく反論する人がいる。


たしかに一番悪いのは父親だ。それはそうだろう。

ただし、「なぜ児童相談所が機能しなかったのか?」というのと「一番悪いのは誰か?」というのはそもそも論点が違う。

もし、この場で建設的な話し合いをしようとするなら、「論点の乱立」が起こっていることをお互いが理解し、論点の整理をしなければならない。

起こっているのは「意見の対立」ではないからだ。


そもそも人は「自分の意見」を述べるとき、「自分の語りたい論点」の意見を述べている、ということが非常に多い。


誤解のないように言っておくが、「論点の違う意見を言ってはいけない」と私は主張したいのではない。

議論において、論点の違う意見は必要だし、論点を厳密に規定することが、必ず「対話のプラスになる」ということもない。


ただ、少なくともファシリテーターや司会、議長のような立場の人は「論点ズレ」「論点の乱立」という構造に気づき、理解しておく必要はあるだろう。

それを「正すか、どうか」は別にして、「気づいていること」が重要なのだ。


別のパターンとして、こんなケースはどうだろうか。

セミナーや研修で、受講生が講師にこんな質問をしたとする。


「私の上司は、私の話をまったく聞いてくれません。人間関係的にも問題があって、仕事上でも困っていますし、精神的にもけっこう辛いんです。そんな上司との関係を修復する方法、コツのようなものはありませんか?」


この質問に対して、講師がこんなアドバイスを送る。


「そんな相性の悪い上司との関係修復に大きな労力を割くより、いっそのこと、もう一つ上の上司との関係を築くことを考えてみてはどうですか?」


このアドバイス、みなさんはどう思うだろうか。

「なるほどなぁ・・・」という側面もあるけれど、「う〜ん、どうかな・・・」とも、私なら思う。

しかし、このアドバイスがいいか悪いかなんて話は、質問をした本人にしか判断できない。

ファシリテーター、あるいは対話者として大事なのは、ここに「論点ズレ」が起こっていることを、理解できるかどうかなのだ。


ごくシンプルに言うと、そもそもの質問は


●上司との関係を修復する方法は?


というものだ。それに対して講師は


●(上司との関係なんて気にせず)さらに上の上司との関係を築きなさい。


と答えている。つまり、質問者の論点に乗っていないのだ。

対話者として、まずこの構造に気づきたい。

その上で「質問者はどう感じているだろう?」ということを、ていねいに観察しなければならない。


もし、質問者が


●なるほど、そういう方法もあるか・・・

●ちょっと、やってみようかな・・・・

●そう考えれば、すぐ上の上司との関係なんて、それほど悩む話でもないか・・・


と感じているなら、それは効果的なアドバイスである。「論点が正しいとか、ズレている」なんてことより、もっともっと大事な価値を生んでいるのだから、それはそれでいいわけだ。


しかし、もし質問者が


●いやいや、そんなことできるわけないし・・・

●すぐ上の上司との人間関係を修復したいって、言ってるのに・・・

●なんか、私の話、取り合ってもらえてないな・・・・


と感じているようなら、「論点ズレ」「論点の乱立」が対話の質を著しく下げてしまっている。これはファシリテーターが介入すべきタイミングかもしれない。

たとえば、そんなときファシリテーターが、講師に向かって


「さらに上の上司との関係を築くっていうのは、新しい視点で、一つのいい方法だと思うんですけど、もし、すぐ上の上司との関係をなんとか修復したいという場合には、何か、いい方法はないでしょうか?」


と「論点を強調するようなフォローの質問」を投げかけるという方法もあるだろう。

こうした介入をすると、質問者は「うんうん、そういうことなんです」と思ってくれるし、(講師の側に「適切な答え」があるかどうかは別として)講師にも正しいポイントで考えてもらうことが可能になる。


ファシリテーターとして、重要な役割の一つである。

その起点となっているのは、まさに理解力であり、もっと言えば「論点ズレ」「論点の乱立」に気づいている、ということなのだ。


だからこそ、ファシリテーターがもっとも大事にすべき視点は「論点はどこにあるのか」だと、私は考えている。


多くの人は、自分が何かを話すとき、論点のことなどあまり気にしていないけれど、相手から「何かしらの意見」が返ってきたとき、そこに論点ズレが起こっていると、


いやいや、そういうことじゃないんだけどなぁ・・・


とすごくモヤモヤした気持ちになる。

そもそも「論点の乱立」というのは


それを正すのも難しいし、

その構造をなかなか理解してもらえないし、

意見が対立しているわけじゃないのに、変にヒートアップしてきたりして、


とにかくモヤモヤが募るのだ。

私の経験上、よりやっかいで、ファシリテーターや対話者の能力が問われるのは「意見の対立」より断然「論点の乱立」の方だ。



仕事上の会議やミーティングでも、社会問題でも何でもいいので、ちょっと世の中を「意見の対立」と「論点の乱立」という視点で眺めてみて欲しい。

対話や議論があまりにカオスで驚くし、ちょっと笑えるくらい「論点ズレ」が起こっていることも、じつは案外めずらしくないのだ。






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