授業免除テスト導入のススメ: 飛び級制度論を超えて
日々、バンコクの可愛い子供たちに癒されております (^^v 子供の笑顔はカワユス^^;でいいですね。特にタイっ子は可愛い!(笑)
さて。様々な処で、教育論が噴き出ていると思います。19年前位から、福武書店、もとい、ベネッセコーポレーションさんの処で「インターネットを使った教育」の実践をコンサルタントとして実現していた私としては、矢張り、「変わらない」現行の教育制度にかなりの苛立ちを覚えていたりします。
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18年前の当時、東京放送(TBS)の番組考査部の部長さん(因みに、ここはオウム事件の後に設置された部署のようです。局内でももうご存知ない方多くなっているのかもしれないですね。坂本弁護士事件。)なども交えて、21世紀型教育ビジネスを考える会、なるものの会合を、TBSのJクラブで不定期に開いて居たりしました。その当時から、「21世紀初頭には教科書検定制度がご破算になる可能性がある」等の主張をしてた人も居ました。同時に、寺脇研論(ゆとり教育)についても大いに議論をしていたのですが、私はチョットした事を考えておりました。あの「ゆとり教育」は、失敗に終わってしまうのではないか、と。
例えば、教科書検定やカリキュラムは、<下限>を定めればよいのであって、これ以上教えてはならないと言う<上限>は決して設けてはならない、と言う、「当たり前」が議論されていなかったのではないか、と。寺脇研論の「苦悩」は、下限の論法を使わずに自由競争を推し進めようとした点。早い話、天才には上限は不要であり、落ちこぼれには下限は必要。この当たり前を議論できない浅はかさが「ゆとり」と言う迷走を生んだに過ぎないのではないかと。「天才はある部分で落ちこぼれる」(アインシュタインが引き合いに出される)と言う誤った天才論がそもそもの間違い。落ちこぼれるのは「速度の問題」。能力ではないのです。天才は必ずすべてのジャンルで最高レベルの習得をすることが出来ます。ただ、興味の発芽にムラがあるというだけです。天才であっても、「落ちこぼれる科目がある」という前提を構築し、その科目には「再チャレンジを与えられる」自由設計を施せばいいだけなのです。速度の問題なのですから。仮に、アインシュタインが国語が苦手だったとしても、国語が苦手のまま物理学の論文を書くこと等、申し訳ないですが、不可能でしょう。興味の分散されて最終的にインテグレーションされるのです。教育メソッドの確立と社会的なラーニング。極論、高等学校の物理学であれば、100点満点などにせずに、150点満点辺りにして、100点は今まで通り、50点のオマケは「(大学4年の)一般相対性理論及び場の量子論から出題」で良いのです。まあ、あくまで「例えば」理論ですが。英語は120点満点とかでもいいかもしれないですね?(^^;
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さて、ここで、少しヒネった教育手法をご紹介します。それは、
・授業免除テスト導入
実は、私は、数学・物理・化学・英語に関せば、高校1年生の時に、3年分全部終わらせています。1年間で全て独学しました。独学のレベルも、教科書と問題集は確実に問いて、先生に提出していました。まあ、こういう事を平気でやっていましたので、授業はほぼ「内職」(授業中に他の事をやる事)状態でした。増進会出版社(Z会)の答案を授業中に書いた事もあったかな ^^; 。
こういう事情もありましたので、大部分の高校時代の先生は、授業免除させてくれました。一応、他の生徒が居る事もあるので、やや「紳士協定」的に、授業は必ず出席し、たまに「合いの手」を入れたりと言う事をしています。まあ、数学や物理などの授業で誰も手を挙げない時などは、積極的に挙げるようにしていましたしね。内職しながらも、大体どの箇所を今授業でやっているか、みたいな事も見ていたので。とある時間に、数学の教師が、「これはお前らには出来ないだろうけど」と言う問題を板書し始めたので、すぐにA4の両面の回答を作成し(半日で作成)、先生の机に提出しに行ったところ、数日間その解答が机の上においてあった、みたいな事も有りました。
この様な実体験をしていますので、「授業免除テスト導入」と言うアイディアを以前から持っていました。若干妄想 ^^; 入っているかもしれませんが、軽くご紹介です。
単純に言えば、夏休み・冬休み・春休みの数日、「先取りの為の」試験(テスト)を実施するというモノ。例えば、高校1年生の夏休みに、高校1年2学期の数学の授業を免除してもらう為に、2学期で本来やるべきテスト(100点満点)の75%以上の得点率を持って、授業免除特権付与を言い渡す、と言う制度。
各科目ごと、大体2学期先位のアドバンテージを持てるようにすると良いかなと思います。例えば、中学校から導入すれば、高校1年生春にして、高校3年までの「先取り授業免除特権」位は持たせられるようになるのではないでしょうか。勿論、「授業は必ず出る」事、実際の定期テストも必ず受けさせること、実際の定期テストで一定以下の得点しか取れなければ、特権はく奪、位の処分があると、尚良いのではないかと存じます。
落ちこぼれ等の管理も(先に進んでいる子の事を考えなくても良い分、先生も楽になります)効率的に出来るようになりますし、先に進みたい人は独学でドンドンやらせて、「自主性」を育むことができるので、落ちこぼれ対策、自主性を育む教育の実施、両方が可能になるのではないでしょうか。
私は、「飛び級制度」を導入する前であっても、比較的簡単に導入が可能な「疑似的飛び級制度手法」だと思っております。私が生徒の頃だったら、こういうのがあったら嬉しいと思ったなあ、喜んでテスト受けまくってたと思います!v 是非、ご一考いただければ幸いです。m(__)m
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追記: 教育問題を考える時、この視点は忘れてはならないと考えています。
<心理学・脳科学のデータでわかった、「幸せ」に隠された8つの真実>
https://newspicks.com/news/839327/
「物より経験にお金を使う方が幸福度は高い」
学習と言うのも、一つの<経験>となります。その「人間のネイチャー」を、キチンと分かったうえで、「教育」(ラーニング支援)すれば、学力低下がどうのだのという問題は生じないのだと切に思いますが、如何でしょうか。
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