望月哲門(漫画家)

30歳。エッセイと漫画あげます。札幌出身でアイスホッケーをずっとやっていました。オード…

望月哲門(漫画家)

30歳。エッセイと漫画あげます。札幌出身でアイスホッケーをずっとやっていました。オードリーのANN毎週聴いてます。腰痛が痛い。Twitterもやってます👉🏻 http://u0u0.net/6REW

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「自分が分からなくなったとき、本を読みまくったら抜け出せた話」/マンガ

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      『この度、おれのマンガが載ったおれの本じゃない本が発売されました。』/マンガ

      • 本日、おれのマンガが載ったSHARPさんの本が発売されました。

        この度、「おれのマンガが載ったおれの本じゃない本」が発売されたようです。 おれの本じゃなきゃ誰の本だというのだろうか。それはなんと「SHARPさんの本」だという。そうあの某SNSの超有名企業アカウント「シャープさん@SHARP_JP」だ。びっくり。 3年前のある日、そのシャープさんがおれの『自分が分からなくなったとき、本を読みまくったら抜け出せた話。』というエッセイ漫画を読んで、それについてコラムを書いてくれたことがあった。(この時もかなりびっくりした。) ▽そのコラム(

        • スーパームーンとバカと女

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        「自分が分からなくなったとき、本を読みまくったら抜け出せた話」/マンガ

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        • エッセイ
          29本
        • エッセイマンガ
          3本

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          「おれはきっとマンガ家になる。」

          「マンガ家」という職業をはじめて意識したのは、14歳のときだった。 当時通っていた塾の棚には、生徒が休憩中に読む用のマンガがたくさん置いてあった。 マンガ好きだったおれは授業よりも、この休憩中のマンガの為に塾へ通っていたといっても過言ではない。 気になっていたマンガを一通り読んでしまったおれは「次は何を読もうか」と迷った。 そしてタイトルだけ何となく知っていた『スラムダンク』というマンガを手に取ってみた。 正直いって世代ではなかったので、中学生のおれからすると「昔流行っ

          「おれはきっとマンガ家になる。」

          29歳になりました。それとエッセイマンガの本を出そうと思っています。

          本日2023年6月11日、おれも29歳になりました。 アラサーもいいところである。 おれはここ数年、東京にいたり、苗場にいたり、ニセコにいたり、札幌にいたり、漫画も描いてるのか描いてないのか分からないし、最近はやたら文章のエッセイを書いている。 だからは周りの人からは、「こいつ結局いま何をしているんだろう?」あるいは「何をしたいんだろう?」と思われているかもしれない。 先日、バラエティ番組を流していると聴こえて来た「君は何をされてる方なの?」という声になぜか「ビクっ」とし

          29歳になりました。それとエッセイマンガの本を出そうと思っています。

          「かわること」と「覚悟」について。

          24歳のおれは会社を「えい」っと勢いで辞め高円寺のアパートを出た。 それから友達が小岩でシェアハウスをしていた一軒家に転がり込んだ。 今もそうだといえばそうなのだが、その頃のおれは迷走しながら自分というものとの付き合い方を模索していたと思う。 いろんなことに無防備過ぎたせいで一度深く傷付けてしまった自分の心や身体を回復させている時期でもあった。 このときに聴くようになったのがカネコアヤノさんの音楽だった。 シェアハウスの友達が掛けていた曲がやたら良くて、「なにこれ?」と聞

          「かわること」と「覚悟」について。

          『自律神経休暇』/マンガ

          『自律神経休暇』/マンガ

          書くことで点が線になる。

          “読む”ことで点が線になる、と思う。 人はそれぞれ、その人だけの考え、感じ方、体験、哲学、物事の見方、感情などをいくつも持っている。 おれも多くの人と同じように、世界の大小あらゆることに対し、「自分の考え」みたいなものを持っている。 これら一つ一つのことを、「一つの点」だとする。 22歳の頃、おれは鬱になった。 休日は友達と遊ぶことも出来なくなり独りになった。 その頃、おれは読書をし始めた。 文章を読んでいる時だけは安心出来た。 小説やエッセイを中心に、たくさん本を

          書くことで点が線になる。

          「日曜日の夜」が好きだった。

          「日曜日の夜」はお父さんとふたりでお風呂に入る、というのが子供の頃の何となくの決まり事だった。 日曜日は、お父さんの仕事が唯一休みだったのだ。 当時、『笑点』、『まる子ちゃん』、『サザエさん』の後は、19時から『こち亀』が放送されてた。 それが2000年代前半の日曜日の夜の風景だ。 おれはサザエさんまで観れば満足だったのだが、こち亀はお父さんの週末の楽しみの一つであった。 EDの『葛飾ラプソディー』が終わると、お父さんは「おし、風呂入るべ。」と声を掛けて来た。 湯船の

          「日曜日の夜」が好きだった。

          体育寮の「解散掃」。

          地元札幌の高校を卒業したおれは、関東の大学へ進学した。 小学校からやっていたアイスホッケーを続ける為だ。 初めて実家を出て住んだのは、進学先の大学の「体育寮」だった。 築40年のボロボロの建物だった。 体育寮には、アイスホッケー部以外の体育会の部活も入っている。 「レスリング部」、「ボクシング部」、「柔道部」などゴツめの部活がたくさんいた。 寮の風呂に行くとこいつらの巨大な背中とお尻がたくさん並んでいてほぼ「ゴリラの浴場」のような様子だった。 各部屋は1〜4年生が各一

          体育寮の「解散掃」。

          西荻窪のボロアパートの思い出。

          関東にいた10年間で4、5回引っ越しをしたが、最後に3年ほど住んだのが西荻窪だった。 会社員を辞めてお金がなかったので、家賃の安いボロアパートを選んだ。 売れないマンガ家が執筆をするのには十分な部屋だと思った。 引っ越しが完了した日、コンビニに行く為部屋を出ると、隣の部屋のおじさんがバイクを洗っていた。 目が合ってしまったので、おれは形式的に軽く会釈をした。 「あ、引っ越して来た人?」 会釈をした為に話掛けられてしまった。 「ここが家賃安い理由知ってる?」 おじさんは

          西荻窪のボロアパートの思い出。

          四月の井の頭線の住宅街の戦場のメリークリスマス。

          2023年3月28日、坂本龍一さんが亡くなった。 享年71歳だった。 はじめに言っておくが、おれは決して坂本龍一さんのファンではないと思う。 有名なものを除き、最近までおれは彼の作った音楽をほとんど知らなかったからだ。 おれにとって坂本龍一さんは、ほとんど「ヨノイ大尉」だった。 “ヨノイ”は大島渚監督の『戦場のメリークリスマス』の登場人物で、この役を演じたのが坂本龍一さんだった。 この映画の舞台は1942年、インドネシアはジャワ島レバクセンバタにある日本軍俘虜収容所だ。

          四月の井の頭線の住宅街の戦場のメリークリスマス。

          M-1に出て、「趣味」について考えたこと。

          25歳のとき、M-1グランプリの予選に出た。 高校の先輩にたまたまお笑い芸人の「しょうへいさん」という先輩がいたので、その人に声を掛けて即席のコンビを組んだ。 実はM-1は別の人と別のコンビを組んでエントリーさえすれば、その大会に同じ人が何度出ても良いルールになっているのだ。 おれは普段マンガや文章を作っているのだが、1人で部屋に閉じ篭ってひたすらiPadに向かうので作業としてはとてつもなく地味である。 さらにその地味な作業の積み重ねによって作った作品は、作ってしばらくし

          M-1に出て、「趣味」について考えたこと。

          大人のキレ方。

          おれはニーマルニーマル年、いやコロナで一年延期になったのでニーマルニーイチ年に「TOKYO」で開催された某国際的スポーツ大会のスタッフとして一週間ほどアルバイトをした。 そして、そこで「リさん」というおじさんと出会った。 このエッセイは彼に向けた感謝の手紙的な気持ちで書いた。 願わくば、おれがリさんに教えてもらった「大人のキレ方」が誰かの役に立てば嬉しいと思う。 2020年4月7日、それは日本で初めての「緊急事態宣言」が発令された日だ。 報道が出た時、ちょうど居酒屋で日払

          大人のキレ方。

          「てつと」と「キネ」。

          実は、おれは名前を2つ持っている。 一つは本名である「てつと」。 もう一つが「キネ」だ。 何もふざけている訳ではない。 本当の話なのだ。 うちの「望月家」には、昔から家族ぐるみで仲良くしている「藤井家」という一家がいる。 元々住んでいた家が近所だったことが、きっかけで付き合いが始まった。 趣味や空気感が似ていたのと、何よりお互い同じような年頃の子供が3人ずついたことで、もうかれこれ30年以上の「家族付き合い」が続いている。親戚以上に仲が良いくらいだ。 子供の頃は毎年

          「てつと」と「キネ」。