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体育寮の「解散掃」。

地元札幌の高校を卒業したおれは、関東の大学へ進学した。
小学校からやっていたアイスホッケーを続ける為だ。

初めて実家を出て住んだのは、進学先の大学の「体育寮」だった。
築40年のボロボロの建物だった。

体育寮には、アイスホッケー部以外の体育会の部活も入っている。

「レスリング部」、「ボクシング部」、「柔道部」などゴツめの部活がたくさんいた。
寮の風呂に行くとこいつらの巨大な背中とお尻がたくさん並んでいてほぼ「ゴリラの浴場」のような様子だった。

各部屋は1〜4年生が各一人ずつ入った4人の相部屋になっていた。
アイスホッケー部は体育寮の1番上の5階を使っていた。

1年生の頃は部屋に入る他の全員が先輩なので、なかなか気が休まらない。
4年生が「部屋長」で、その他の3人は「部屋っ子」と呼ばれた。

1年生は毎日上級生よりも早く起きて「朝掃除」をしなければならない。
朝が苦手だったおれは、毎朝この朝掃除が憂鬱であった。




朝掃除よりももっと憂鬱なのが「解散掃」だった。

夏休みなどの長期休暇の前にアイスホッケー部のいる5階を数日間掛けて1年生が全て”完璧”にキレイに掃除をする。
廊下、階段、屋上、トイレ、窓、流し、洗濯機、などなど一箇所ずつ掃除をして順番に全てのOKを貰う。

まずは2年生が確認をする。
2年生がOKを出すと、3年生が確認をする。
3年生がOKを出すと、4年生が確認をする。

4年生が全箇所のOKを出すと、晴れて1年生の「解散」が出て長期休暇が始まる。
逆に言うと全てにOKが出ないと1年生(と、各学年の解散掃の確認をする担当者)は解散することが出来ない。だから「解散掃」だ。

築40年の寮の中では、「昭和の体育会系」みたいな気風がまだ脈々と受け継がれていた。
例えば解散掃では廊下に小さな埃の一つでも残っていると、OKは出ない。

一度完璧にキレイにしても、先輩が確認をする間に風でゴミが飛んで来たらアウトだ。
確認をしている先輩の髪の毛が落ちる可能性もあるが、何にせよ一年生に「言い訳」をする権利みたいなものはなかった。

まずは2年生が掃除の仕方を1年生に教え、現場の監督的な役割を果たす。
2年生は前の年に、散々先輩たちに掃除をさせられているので、「同じ苦行を1年生にもやらせないと損だ!」と考えている。

この解散掃除に強い”モチベーション”を持っている先輩もいて、1年生からするとかなり厄介な存在である。

特に大変だったのは「窓拭き」だ。
廊下の埃同様に、少しでも「拭きあと」があるとOKは出ない。

窓を真剣に拭いたことがある人にしか分からないのだが、どんな方法を使っても拭きあとを完全に消すことは容易なことではない。
それに実際は少しくらい拭きあとが残っていてもそれは汚れではないので全く問題はないハズだ。

不毛かもしれないが、とにかくこの拭きあとを全てキレイに一つ残らず消さないと1年生に「解散」は出ない。




おれたち1年生は夏休み前の解散掃を行っていた。
苦戦はしながらも順番にOKを貰い、最後に残ったのがその「窓拭き」だった。

おれはたちはもうその日の朝から5、6時間以上かけて窓を掃除していた。

「よし!今度こそは!」と思い、2年生に確認してもらっても、「ここに拭きあとがある」と隅にある肉眼でギリギリ確認出来るくらいの小さな拭きあとを見つけられては、また数時間「やり直し」をさせられた。
長い間、窓を拭いていると拭きあとがゲシュタルト崩壊を起こして、どこからどこまでが拭き後なのか分からなくなった。

独自に拭きあとを消す方法を編み出すやつも出てきて、「分かったぞ!」とコナン君みたいなセリフを口にした。
するとみんな一斉に「マジかよ!おれにも教えてくれ!」、「お、おれにも!」とコナン君のもとに集まった。

2年生の中にも優しい先輩はいて、裏技をこっそりと教えてくれたりした。

吹きあとはどんなにキレイに消しても、一定時間経つとまた現れる。
先輩に”確認”をお願いしてから、先輩が窓まで到着して実際に確認をし始めるギリギリ直前まで、チキンレース的に窓を拭きまくる。

数分して吹きあとがまた出て来るその間に、確認をして貰いOKを貰うのだ。
この手法のことを、2年生は「一瞬の美」と呼んでいた。

それでも結局その日はOKが出なかったので、次の日も朝からひたすら窓を拭き続けた。

もう十分キレイな窓を延々と拭き続けているとだんだんみんな頭がおかしくなった。
ストレスや疲労もどんどん溜まってきて、1年生同士でケンカが始まったりした。

「お前もっとまじめにやれよ!」
「は?やってから!」

喧嘩はヒートアップし、指摘された方のMは「もういい!おれもうやらない!」と言い出し、部屋に戻って行った。
「あいつマジでないな。」と、1年生みんなでそいつの部屋に突撃すると、Mはベットの中でシクシクと泣いていた。

Sは、いつまでもOKが出ないストレスで「これ以上何日拭いても解散は出ない。おれはもうこの寮を燃やそうと思う。」とライター片手に真顔で言ってきたので、止めた。

どの学年の先輩たちも口を揃えて「おれたちが1年の時はこんなもんじゃなかった!お前らは恵まれている!」と言ったが、その「こんなもん」がどんなもんなのか全く分からない1年生にとっては知ったこっちゃなかった。
「おれたちの時は廊下を吹き過ぎて最終的に指紋が無くなった!」と言い張る先輩もいて、これにはさすがにちょっと同情した。

しかし、結局はレジスタンスを起こすワケにもいかず、ひたすら拭き続けてOKを貰うより他なかった。




おれたちはもう諦めて、窓を拭き続けた。

もうフラフラの状態でとっくに頭は働いていない。
みんなボーッとしてきているので、もう誰も喋らない。

1年生は、もはや拭きあとをふいて新しい拭きあとを作る永久機関と化していた。
正解もゴールも分からないまま無感情と無表情で窓を拭き続けていた、その時だった。

「バンッッッッ!!!!!」
廊下に大きな衝撃音が響き渡った。

振り返ると、おれたちが拭いている窓に思い切り猛スピードのままぶつかったらしき鳥が見えた。
おれたちは唖然としながら、気絶をしてフラフラと寮の下に落ちていく名前も分からない鳥を眺めた。

窓をキレイに拭きすぎてしまったのだ。
鳥は、「そこがまだ空の延長である」と勘違いして、もう一切の汚れが無くなった窓に突っ込んだのだ。

拭きあとだってもうとっくに残ってなどいなかったのだ。
おれたちは拭き続ける中で無意識に極限まで拭き方が洗練されていたのかもしれない。

おれたちの行き過ぎた窓拭きによって、一つの小さな命が失われてしまった。
(行き過ぎた窓拭きってなんだ?)

2年生にその訃報を伝えると、その情報はすぐに3年生から4年生まで共有された。

流石の先輩たちも、一年生にキレイに拭かせ過ぎた結果、「鳥が窓にぶつかって死んだ」というありえない状況にドン引きしていた。
鳥の目が空だと認識したくらい完璧に吹き上げられた窓であるという事実に、もはや先輩たちはどんな文句も付けることは出来なかった。

「か、解散ッ!」

寮の向こうの丘には、見事な夕焼けが広がっていた。
拭かれすぎた窓は夕日で照らされキラキラと輝いて、おれたち1年生の不毛な努力をやさしく肯定してくれた。

そしておれたち1年生の大学はじめての夏休みがはじまった。

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