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四月の井の頭線の住宅街の戦場のメリークリスマス。

2023年3月28日、坂本龍一さんが亡くなった。
享年71歳だった。

はじめに言っておくが、おれは決して坂本龍一さんのファンではないと思う。
有名なものを除き、最近までおれは彼の作った音楽をほとんど知らなかったからだ。




おれにとって坂本龍一さんは、ほとんど「ヨノイ大尉」だった。
“ヨノイ”は大島渚監督の『戦場のメリークリスマス』の登場人物で、この役を演じたのが坂本龍一さんだった。

この映画の舞台は1942年、インドネシアはジャワ島レバクセンバタにある日本軍俘虜収容所だ。
日本軍と俘虜たちの衝突の中で、東洋と西洋の価値観が対照的に描かれていく。

ヨノイはこの収容所の所長であった。
彼は「ジャック・セリアズ」という英国陸軍少佐と出会い魅せられていく。

次第に彼の中の「何か」が揺らいでいく。

ヨノイは、常に規律や道理というものを重じた。
だからこそ彼はその”揺らぎ”に大きく動揺をする。

そのたえず揺らいでいるその姿は形容し難いほどに美しかった。
どこまでも真面目で不器用で人間くさくて愛すべき人物であった。

年齢は明かされないがおそらく30歳前後だろう。
だとすれば今のおれと同じような歳だ。

ヨノイがもし平和な時代に生まれていればどんな人生を送っただろうか、とおれは考えずにはいられない。

『戦場のメリークリスマス』という映画にとって最も重要な要素の一つが坂本龍一さんが手掛けた音楽だろう。
この音楽たちは、映画を下支えしながらもそれを飲み込んでしまうような凄みを持っている。

映画のテーマの『Merry Christmas Mr. Lawrence』について、坂本龍一さんは「東でも西でもない、西洋人も東洋人も同様に感じる事ができる、あるオリエンタルな空想の場所で、古代であり、現代であり、つまり時間的にもどこでもありうる場所」というコメントを残している。
だから不思議であり、懐かしいのメロディーを持っているのだ。

おれは何度もこの映画を繰り返し観た。
新宿武蔵野館で4Kリマスター版が上映された時はもちろんすぐにチケットを取った。




坂本龍一さんが亡くなった数日後、おれは吉祥寺から友達の家のある高井戸までをひとりで歩いていた。

別に電車に乗っても良かったが、お金はなく時間だけ有り余っていたおれは歩くことにした。

おれはその数ヶ月前に東京のアパートを引き払っていた。
地方で季節労働をして生活費を稼ぐことが多くなったので、東京の部屋の家賃を払うのがバカバカしくなったのだ。

いつの間にか多くなったほとんどの荷物を捨てたり、売ったり、人にあげたりして、残りは札幌の実家に送った。

初めは荷物を手放すのはなんとなく億劫だったが、一度処分し出すとこれが結構快感だった。
10年を掛けて東京で溜まった垢みたいなものも一緒に落ちて身軽になっていくような感覚があったからだ。

冬の新潟での季節労働を終えたおれは、札幌に帰る前に東京の友達の家に数日間泊まらせて貰っていた。
こちらでいくつか用事を済ませる必要があったからだ。

その日、おれはちょっと予定が空いたので髪を切りに吉祥寺に行った。
古着屋で適当なTシャツを買ったあとは、ちょうど桜が咲いていた井の頭公園で散歩をした。

平日だったが花見目的の人で公園はかなり混んでいた。
それでもなんとか空いているベンチを見つけ、スーパーの惣菜コーナーで買った炙りサーモンのお寿司をパクパク食べた。

中央にある池にはいつもの5倍くらいのスワンボートたちが泳いでいて、いろんなところで軽めの衝突事故を起こしていた。




井の頭公園を久しぶりに満喫したおれは、友達の家まで歩いて向かった。
時間はそれなりに掛かるが、ラジオを聴くのにも丁度良かった。

井の頭通りをひたすら東の方に歩いた。

途中でなんとなく井の頭線の方面に何本か奥の道に入ってみることにした。
小さい道に入ると知らないカフェや図書館、公園などが出てきてちょっと楽しい。

4月の頭でまだ若干気温は低いのだが、晴れていて春の風が気持ちの良い日だった。
太陽の光でじんわり肌が温るのが心地よい。

だいたい久我山と富士見ヶ丘の間くらいだったろうか。
もうだいぶ井の頭線寄りの住宅街を歩いていた。

すると、にわかに”それ”がおれの耳を通った。
静かで鮮烈だった。

それは絵に描いたように平均的な日本の民家の中から流れる『Merry Christmas Mr. Lawrenceだった。
鳥肌がたった。

その家は、全体が昭和後期の日本のノスタルジーな空気を纏っていた。
日本が豊かだったことと、それがもう過去のことであることの象徴のように感じられた。

道沿いの窓が開けられていてそこから音楽が漏れ聞こえていたのだ。

網戸越しの部屋の中には初老の女性の横顔が見えた。
彼女は家の掃除をしているようだった。

おそらく彼女はこの場所でずっとで暮らしたのだろう。
この家や家族や彼女が何十年も営んできた生活や感情の歴史を、そしてそのエネルギーみたいなものを感じずにはいられなかった。

彼女がどんな思いで今この音楽を聴きながら家事をしているのか、おれは知らない。
彼女がこれまでどのようにこの音楽と関わってきてどんな思い入れがあるのか、おれは知らない。

ただ、メロディーはその場所の全てに馴染みながらも異質で圧倒的な存在感を放っていた。
この光景があまりにも美しく完璧過ぎて、おれは立ち尽くしてしまった。

その透き通った音色はピンと張り詰めていた。
繊細で同時にどこまでも力強い圧があった。

生活と非日常が入り混じっていた。
風景と音楽が一緒になっていた。

2023年の日本の日常の中にいるおれと、1942年のジャワで生きたヨノイが繋がった。
この音楽だったからこそ起きた感覚だったのかもしれない。

おれはふと我に返った。
そしてそこが他人の家であることを思い出したので、すぐにその場を後にした。

おそらくおれが立ち止まった時間は10秒にも満たなかっただろう。
でも、それは永遠のように感じられた。

坂本龍一さんは『Merry Christmas Mr. Lawrence』が広く売れすぎた為に、葛藤し10年ほどステージでこの曲の演奏をしていなかった時期もあるらしい。
だから彼はこの曲に対してはいろいろな感情があったはずだ。

だが、おれはあの四月の井の頭線の住宅街で観た情景は、彼がずっと人生を掛けて作ってきた音楽の行き着いた先のように感じられた。

おれは『戦場のメリークリスマス』をこの先も観続けるだろう。
そしてその度にこの何でもない美しい記憶について思い出すだろう。

人の記憶はこうやって積み上がっていく。
人は記憶があるから生きられる。




坂本龍一さんの訃報が届いてから、世の中は彼で溢れた。

テレビやネットでは彼についてのいろんな特集が組まれた。
過去のものも再放送や再掲載がされた。

SNSでは素人から有名人まで様々な人が、坂本龍一さんの思い出について発信していた。
そして坂本龍一さんが作った多くの曲が紹介された。

戦場のメリークリスマスの劇中の音楽と、YMO時代を含む有名な数曲くらいしか知らなかったおれだったが、それらを聴いて観ることにした。
坂本龍一さんのファンの友達がいたのでそいつにもおすすめのものをいくつか教えてもらった。

聴こうと思えば好きなだけSpotifyで聴けるのでありがたい。
良い時代だ。

おれは自分でもびっくりするくらいに坂本龍一さんの音楽にハマった。
マンガや文章の作業をしながら、ひたすら彼の音楽を聴いた。

今ではいくつかお気に入りの曲やアルバムがある。
とはいえまだ知らないものも多いのでゆっくりと時間を掛けながらこれから色々聴いていこうと思う。

こうしておれもまた彼の音楽の一部になっていくのだ。

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