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色づく長崎の明日から③(南部編・前半)

みなさん、連休が明けましたね。日常に戻れましたでしょうか。それともそのまま五月病まっしぐら?

僕も日曜日に連休が明けまして。まあ今日の月曜日は定例の休みなので、また連休ちゃんがコンニチワしてますけど。ああ、いかないで愛しき連休ちゃん。もう一生添い遂げて、ニートになってしまう…

なので帰省も終わり、長崎から離れ、はや3日。もう我が家の埼玉に落ち着きました。長崎の日々が夢のようです。
故郷忘じがたき候と、僕の故郷である長崎、特に今回は実家がある「戸町を越えた南部辺境地帯」と、僕の家のルーツを描いていきます。僕の家のルーツなんざ、何の役にも立たない情報ですし、自分の家のルーツを探ることにそもそも失敗していますが、一度描いてみたかったもので。
そして、基本は長崎の景色を描写していきますが、日本を代表する文化であるアニメ、特に長崎を代表するアニメ「色づく世界の明日から」の場面も通じて風景を美しく見せていきたいと思います。はたして美化なのかどうか。

では、長崎の南部の良し悪しを語りつつ、実は魅力あふれるかもしれないことはないような気がしないでもない可能性が微レ存あるようなないようなそこはかとなくかもしれないが何事も無駄なものはないと言いたいがどうだろうなと首をかしげながらも

すいませんバグりました。まあ、みなさんを長崎南部にご案内できればと、思います。
きっと、山と海の美しい景色、山と海しか魅力がないような、コンビニまで歩いて30分以上の、とにかく大冒険だよ!!
(長崎県民の方々、ならびにその他もろもろの田舎者、いや地方在住の方々、暴言申し訳ないですが、田舎者特有の卑下です。
そんな現在僕が住む埼玉も、西武の山ばかりだし、僕ん家からコンビニまで徒歩15分。長崎まで1000Km離れ、コンビニまで15分近づきました!
しかし、東京という職場のある悪魔に吸い取られる西武線まで徒歩20分。
ぜひ、都会の喧騒の眼の肥やしにちょっとでもなればと思います。)

戸町に行くまで …グラバー園の近く鍋冠山や戸町手前の浪の平まで

戸町から先はタヌキが出る、と母が勤めていた造船所の同僚が言っていたようです。
現に、小学校への通学路にたまにタヌキの轢死体がへばりついていたり、犬と山を散歩していたらタヌキと遭遇し、犬もタヌキも僕もお互い固まっていたこともありました。小学校の頃は犬が校内ではしゃぎ走る珍事件がたまにありましたね。うちの小学校はまれに鹿がはしゃぎ走ることがありました。
熊の出現は無かったので、その辺は安心してください。

長崎市中心街、観光スポットが集まる浜の町~新地中華街~水辺の森公園~山手とグラバー園のラインの南端。長崎名物路面電車もここまでしか通らず、観光客たちも南の先を見るもそこはただのベッドタウンでまるで市民の寝室に入るのを遠慮するかのように、立ち入らないようにしているようです。
そんな街に戻る軌道修正のバッファ地帯である「浪の平(なみのひら)」こと浪平(なみへい)。
サザエさんちの(長崎県は国産サザエの漁獲量日本一で全国17%のシェアです!)波平さんの髪の毛のように不毛な地域と気づき踵を返すところですが、今回は勇気をもって突撃しましょう。

て、ドキドキしますから、まずはその裏側にあるお山「鍋冠山」の展望台で景色を望んでからにしましょう。

このアニメ「色づく世界の明日から」は、色彩が日本最高峰だと思います。
きれいでしょ、景色。アニメも、たぶん現実も。
母「こがん山ばっか、見飽きた、なんば好きで見るとやろか」。

勇気をもって戸町へ行こう!

さて、戸町に行く勇気は持てたでしょうか。
なんやかんや、けっこう中心街の裏の山道と同じです。
グラバー園方面に戻り、浪平まで歩きましょう。ここ、小曽根通りは、坂本龍馬など志士を援助した長崎最大の豪商かつ文人で、明治政府の勅命で天皇陛下の大事な国事行為で用いる印である御璽国璽を刻した人物、小曽根乾堂(こぞねけんどう)から名付けられました。
彼が建てた小曽根学校は、のち浪の平小学校になりましたが、2007年に廃校となりました。長崎の学校も、高齢化と過疎化が厳しいようで、僕の頃は1学年に5クラス以上、1クラス30~40人はいたものです。団塊世代と団塊ジュニアの勢力すさまじかったのですね。
南部は基本、「○○台団地」が多いのですが、長崎の基幹産業である三菱(岩崎弥太郎と弥之助が長崎の、坂本龍馬による海援隊や土佐藩開成館をもとにして設立し大阪に移転した三菱商会、のち四大財閥の1つへ)の造船所などへ働きに行く人々の建設ラッシュが進んだ場所。
何もないお山にどんどん建物がつくられていきました。

グラバー園よりさらに南の奥地へ。
小曽根など、歴史を感じる場所は基本ここまでだ!
進路は南、右手は海、左手は浪の平の山。

さて、下の道は海岸沿い、上の道は渋滞防止で作られたバイパス
上の方はダイヤランドという多摩ニュータウン的な住宅街が作られましたが、現在閑散としているのは過疎化と高齢化という南部の呪いに侵されています。

南部辺境地帯の過疎ぶりは、衛星写真を見てもお分かりだろう。
長崎市は、その華やかで豪華な表側と裏腹に、背中はまるで貧しいハリボテのようなもの。
まるで漫画「おぼっちゃまくん」の「びんぼっちゃま」のような出で立ちです。
前はスーツ、背中は丸裸。しかし、心は過去の栄華を誇った矜持にあふれているような。
「ふん!落ちぶれても元上流階級!!」

ちなみに長崎という小さい半島を東西に分ける背骨となる、この呪われた大きな山々。中心は「八郎岳」という長崎半島最高峰(589m)で、その向こう側は、島原半島や熊本県と天草諸島をつなぐ茂木港。

昔の、浜の町から南高校がある田上をへて、茂木へ通じる道。

茂木は漁港かつ長崎銘菓「一口香」と茂木びわゼリーの産地でも有名です。
そんな長崎半島東部は、東長崎とその近くのペンギン水族館はよいのですが、かろうじて茂木も繁栄しているのだが、その南の宮摺(みやずり)などは海水浴場しかない場所で。山が海に沈み人もあまり住んでいない場所がずっと南の為石町まで続きます。
現在、大村や諫早とつながる大きな道路(高速?)を為石までつなげ、南部とのアクセスを容易にしようとしているようで、これが南部の発展の光になれば良いのですが。

長崎県民は頭空っぽのやつを「お前の頭は一口香!」と馬鹿にしたものです。
長崎のシンボルでもある八郎岳。
源頼朝の父・義朝の父・為義の子である源為朝から名付けられる。
鎮西八郎為朝とも言われ、暴れん坊だったため為義から九州へ追放され、九州には鎮西八郎為朝由来の地が多いようだ。
鎮西八郎為朝は、自ら鎮西総追捕使を名乗り、九州の豪族らと戦う。
のち、京都へ九州の武士を率いて上洛、保元の乱では為義とともに上皇方に参陣。
為義の長男の義朝は関東の地元の武士を率いて天皇方に参陣。
敗れた為朝は伊豆に流されるが、伊豆大島に流されるが、伊豆七島を支配。
よって朝廷に討たれ自害する。
日本の分断にかかわった為朝、八郎岳に神として降臨し、今も長崎を分断しています。そんな呪いの八郎岳。
以前、はじめて八郎岳を登りました。
布巻の元宮公園あたりから、登山を始め、山頂を経て、宮摺海水浴場まで出たのは驚きでした。
そして出口を求め、戸町あたりに出ました。

下の道で戸町を目指します。
戸町は漁村であり、南部と長崎港中心部を結ぶ拠点として、昔に栄えた場所。以前はここにも遊郭があったようで、散策してみる。
(※以前も、八郎岳や戸町遊郭跡、そして船で長崎港から伊王島まで撮影した写真があったのですが、前のスマホの故障につき画像がオジャンとなりまして。今回は3年ぶりの帰省。5日ほどいましたが、ロストされた画像を復活させるまでにはいきませんでした。)

戸町が見えてきました。長崎湾にちょっと突き出た小さな丘。
最近は、上の道(バイパス)から新しい住宅やマンションも建設されてます。戸町まではまだまだ栄えている!
あ、下の港のような海、実は世界遺産なんです。

小菅修船場は、日本初の蒸気機関による船を曳き上げる「洋式スリップドッグ」で明治産業革命遺産の1つです。船を引き上げる滑り台が算盤(そろばん)に似ていたから「ソロバンドッグ」とも呼ばれています。(現存していない)

小菅修船場の向こうの丘。道路にはトンネルがあるが抜けず、右に行き海の方へ回ります。丘の先端は長崎湾に入る外国船を見張る番所があったようです。長崎は江戸時代は日本唯一の西洋との交流の場、かつ西洋からの不審船を取り締まる基地でもありました。

丘の上の豪華なマンションと比べ、昔ながらのレトロな家々…
放置されてんなー…

マンション街のある天上と、海の近くで這いつくばる昔のレトロな町。

遊郭の名残りが見られますね。

戸町を抜けると、海岸沿いの道がしばらく延々と続きます。
工場があったり、コンビニやパチンコ屋、回転寿司屋などがぼつぼつと並んでます。最近はなぜか、モアイ像が数体並んでいる異様さ!
長崎の基幹産業の造船がおとろえたため、地元企業の有志が、観光でカバーしていきたいと作ったようです。もちろん観光名所としても良いのだろうが、肝心の造船、何とかならんもんか…
観光もいいけど、日本はあらためて「ものづくり」に力を入れないといけないと、個人的に思いますが。造船も、かつて1位だったが中国韓国に抜かれはじめ…

まあやはり、長崎湾のシンボルは女神大橋ですね。

稲佐山から撮ったやつ。対岸が戸町の丘です。
女神大橋がかかっているところのすぐ向かって左の細長い入江が小菅修船場。
対岸、戸町方面から撮った女神大橋。
なぜ女神かというと、神功皇后が朝鮮出兵の際、この長崎港の景色を愛で、手前を女神、先を男神と名付けたとかなんやら。
戸町、金鍔、女神、魚見山この手前にモアイ像、白崎、上揚、そして小ヶ倉。バス停も珍妙な名でしょ。海岸は釣りをしている人も多く見られますよ。

アニメでも女神大橋は長崎のシンボル的な存在。

アニメは魔法使いの魔女の話だが、魔法はささやかなアイテムで、色が見えない未来の魔法使い・「月白瞳」が主人公。
おばあちゃんの魔法により60年前にタイムスリップ。
色が見えなくなり、他人に心を閉ざしてきた瞳が、高校生の頃のおばあちゃん「琥珀」と同級生とともに過ごしたり、人間関係や恋愛感情に左右され、やがて色を見つけていく。
魔法はあくまで小道具で、別にプ○キュアみたいに魔法少女が戦ったりはしません。
あくまで、長崎のキレイな景色と、それを心象風景にしたような、若者の心の揺れ動き、色や光が見えない人の心が鮮やかになっていく様を表現した青春ドラマです。
僕の推しは琥珀。高校時代もかわいいキャラだし、おばあちゃんになった姿が尊くて。
女神大橋の女神=琥珀と勝手に思ってたりする。
ここからの夜景も美しい。日本三大夜景に函館と神戸がありますが、長崎もその1つ。


なんやかんやで長くなりましたんで、長崎南部編、続きます。
まだまだ南部の辺境をお伝えしておりませんで。
「色づく」の聖地巡礼も、伊王島編が残っています。
まあ、タイトルが「色づく長崎の明日から」なのに、なにやら「毒づく長崎」になっていますが…




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