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信のちから と 信と狂信の違い

についていろいろ考察してきましたが、

は、

かなりヤバいです(笑)

「え!?信に溺れて狂信的になったら恐ろしいでしょ。」

て普通の現代人は、思いますよね。

そうですね(笑)

しかし、

一方で、

の重要性が様々に語られてきたことも確かです。

生きるなかで信のたいせつさを実感することも少なくありません。

について考えれば考えるほど,

これが確固としてあれば、

人生がよきものになると実感する今日この頃なのです…

なぜなら、

があると、

現実においてイヤなこと、腹立たしいこと、苦しいこと、落ち込むこと。。

があっても、

それらにとらわれず、

健全な自尊心が生まれます…

過剰に人から承認されることや評価されることを求めなくなります…

人を無理矢理自分の思い通りに操作しようとしなくなります…

ひそかな嫉妬心もほどよいものとなります…

怒りが収まらずに苦しむことがなくなります…

現象の自分に慢心したり、現象の他人を過剰に理想化しなくなります…

疑い、恐怖、逃避ばかりの自分から離脱することができます…

自分軸で生きる余裕が生まれます…

人を愛し、許すことができます…

自分や他人や出来事に喜びやありがたさを見出し、感謝することができるようになります…

未来に希望を抱くことができるようになります…

挫けない勇気をもつことができるようになります…

口先の偽善ではなく、本心からの真心をもつことできるようになります…

心からの祈りができるようになります…

人の苦しみ悲しみをを和らげて本来の輝く相手にしてあげたいと思えるようになります…

自分や人がよくなるために、幸せになるために、愛をともなった厳しい姿勢で臨むことができるようになります。「正義としての勇気」をもつことができるようになります。…


他にも、ずーと信の効用は考えることができます。

やはり、

はたいせつで、

あらゆる宗教が、

信の偉大さ

を語るのは、

信によって、

実は,

すべてが整うからなのでしょう。

神仏から見れば、

「人間よ、何をあれこれと考えて、試行錯誤して、自縄自縛で悩み苦しみ、争うのか。自ら地獄をつくりだすのか。信のみですべては整うのだ。幸せになれるのだ。世界は平和な天国となるのだ」

ということなのかもしれません。

しかし、

戻りますと,

狂信がこわい

ですよね。

です。です(笑)

よき信と狂信との違いは。。。。

カンタンに言えば、

現象としての人や一定の思想信条教義のみを絶対唯一として信じ切るのが狂信

人や他者や出来事や未来やあらゆる現象の本質に、神仏そのものの光や可能性やすばらしきものがあると信じ切ることが健全なる信

と考えます。

信を実践していきたいものです。

心境や環境や運命や人生が変わるかもしれません。












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