街が作る僕という人格


#この街がすき

このタグで記事を募集してます、というnote公式を見た瞬間、いろんな街が頭を巡った。親はいわゆる転勤族というやつ引っ越しは多く、新潟県内のいくつかの街に住んだ。上京してからは自分の生活の変化にあわせて住処も代わっていったし、故郷新潟に比べて街が細分化されているぶん「この街が好き」「この街は苦手」という意識は強くなっていったように思う。

そんな僕は、どの街が好きだろう。

生まれ育った津川町は、引っ越しの多かった僕の人生のなかでも、一番のど田舎だ。初めての引越し先は、県庁所在地新潟市。麒麟山の麓、阿賀野川の流域で育った僕からすれば、そこは大都会だった。長岡市に住んだのは、たったの2年。人生で一番短い居住期間だったが、思春期の入り口に手をかけようとしている僕からすれば、濃密な時間を過ごした思い出深い街でもある。その後は新潟市に戻り、上京するまではそこに定住した。とはいえ、幼稚園から小学校低学年を過ごしたころより行動範囲が広がったため、新しい街まで足を伸ばすことも多かった。当然、思春期ど真ん中を過ごした街々は、僕の人格形成に大きく関わっていることだろう。大学入学を機に上京してからは、都内のいろんな街を巡った。なかでも神保町が好きだというのは、過去にも少しだけ語った。2度の引っ越しを経て、就職し、結婚までした。人生の大きなイベントは故郷を離れたこの地で起きたことだ。

知ってる街は、なにも住んだことのある街とは限らない。旅行に行った街だって好きだと言っていいはずだ。中学の修学旅行で、京都のお好み焼き屋さんへ行った際に気さくに話しかけてもらえたことを今でも覚えている。高校の修学旅行は沖縄だった。大学に入ってからは、南房、清里あたりにサークルの合宿という名の旅行に出かけた。1人で行った箱根や札幌も記憶に新しいし、箱根のほうは結婚してから妻と行ったこともある。

……こんなふうに細かく書いてしまうと、見る人が見れば特定できてしまう内容かもしれない。まあ、別段隠していることでもないし、あまり気にしないでおこう。どうせ誰も読みやしないnoteだ。ライター畑の隅っこにいる雑草みたいな存在の僕を、みなさんどうかよろしく。

さて、もう一度自分に問うてみる。僕はどの街が好きだろう。

上京する前の僕だったら多分、東京こそが最高であると答えただろう。住んだこともないのにである。それくらい、当時の僕は地方住まいであることへ閉塞感を覚え、都会への強い憧れを持っていた。そして今でこそ「東京が最高とは限らないぞ」と言えるのだけど、それも時代が進んだからだという要因が絡んでくるため、一概に当時の想いが間違いだったとは言えない。地方にいてもなお楽しむことができる時代である。ありがとうインターネット。

上京した直後の僕だったらどうだろう。うん、その頃ならまだ東京の素晴らしさに感動していた時期だろう。秋葉原にも行けるし、神保町は最高の街だし、渋谷や新宿は毎日がお祭り騒ぎのようだと思っていた。お上りさんである。そのとき抱いた感情はやはり、決して間違いではない。しかし、今同じことを思えるかというとそうではない。歳は取りたくないものだが、みな平等に重ねていくものである。

今の僕は、どうなんだ。今でも神保町は好きだが、行く頻度は激減した。故郷新潟に想いを馳せることもあるが、ノスタルジー混じりであることは否定できない。思い出は美化されるものだ。東京が最高とは限らないが、かといって故郷が最高とも限らないのである。では、旅行で行った先はどうだろう。僕はいま、間違いなく札幌に憧れを抱いている。大通公園、最高かよ。広い道、広い公園、広い空。それでいて不便は感じないであろう中心街。正直言って、移住したい。移住したいが、実際に住んでみたらきっとギャップもあるんだろうな。雪が半端ないとか、寒さが半端ないとか、地方のコミュニティ形成が難しいとか。多分ある。行ってみたい街といえば飛騨や身延なんかにも行ってみたいが、住んでみたいかというとそれは別の話。いやいや、主題は好きな街なんだから、住んでみたいかどうかは基準じゃない。それはわかっている。いずれにせよ、行ったこともない街が好きかどうかはわからないのだけれど。ちなみに、飛騨も身延も好きな作品の影響。オタクは影響を受けやすいのである。

1700文字を費やして自分の街遍歴を振り返ってもなお、自分の好きな街がどこかわからない。いや、違うな。もしかしたら、どの街も好きなのかもしれない。

幸運なことに、僕は幸せな人生を歩んできたんだと思う。決して金持ちの家庭でもないし、持て囃されたようなこともない。なにかで一番になったこともないし、いろんな失敗もしてきた。なんだったら、小学生のころにはいじめられていたことだってある。そんな、小説の主人公にはなりようもないような、起伏のない平凡な人生を歩んできた。いや、ある意味最近のトレンド的に考えれば、ここから異世界転生してなんやかんやしたりするのが主人公的かもしれないが、そんなことは起こらない。多分生涯脇役だ。それでもなお、僕は自分のここまでの人生が幸せだったと思う。

生まれ育った街、新潟県津川町。今じゃ合併して阿賀町か。狐の嫁入り行列で有名な街である。僕はここで、初めての友人を得た。今じゃ連絡も取っていないし、どこで何をしているかもわからない。だけど、当時の僕にとって、間違いなく親友と呼べる存在がいた。お互いの家や保育園で毎日のように一緒に遊んだ。時には親から行くなと言い聞かされていた河原まで行き、一緒になって怒られた。僕の引っ越しでお別れしたあと、10年ほどしてから一度会いに行ったことがある。久しぶりすぎて、お互いに照れてしまってなにも話せなかった。初恋の人かよ。そんな思い出は、全部この田舎町で作られた。

間に2年の空白をはさみながら、一番長く住んだのが新潟県新潟市。こちらは、平成の大合併前からちゃんと新潟市だ。一番遊んで、一番泣いて、一番笑った。僕の「一番」が一番あるのはこの街だろう。同じアパートに住んでいたお兄ちゃんに野球を教えてもらった。剣道や将棋を始めたのも同じころだ。中学高校という思春期は、語り尽くせぬほどの思春期だった。野球に没頭し、没頭した野球をやめた。高校の3年間片思いした子には、結局言えずじまいだった。へタレめ。多くの出会いのある時期を過ごしたこの街は、僕の中で大きなウェイトを占めているのは間違いない。

上京してから住んだ3つの街、遊び歩いた数々の街。それらは僕にとっての「地元」になったところもあれば、今でも「異世界」のようだと感じる街もある。そんな、世にある全ての感覚という感覚を味わえるのが、東京という小さくも巨大な街なのだろう。この地に住むことを決めて、この地で出会った人と結婚し、子どもも生まれた。人生の転機というものが何回あるかはわからないが、なかでも大きな転機がこの街にはあっただろう。

街は思い出だ。思い出と密接な関わりがある。「あそこでこんなことしたな」「ここではあんな想いをした」そんな思い出の数々を思い出すとき、必ず街の景色が浮かび上がってくる。朝もやの小道、昼間の公園、夕暮れの川辺、夜の繁華街、都会の夜中の淡い星。僕がなにか物語をアウトプットするとき、必ずこうした情景を思い浮かべる。僕がなにかコピーを考えるとき、必ずこうした思い出を振り返る。思い出は今につながる。思い出は僕を形成するすべてだ。だから僕は、僕の住んだことのある街が全部好きだ。行ったことのある街が全部好きだ。

それが僕の好きな街だ。

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