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📖アフリカ文学 エイモス・チュツォーラ『やし酒飲み』に酔う

 今日は久々に海外文学を取り上げることにした。実はこれが2作目である。つまり、普段は日本文学の話しかしていないのだ。それはさておき、まずはこの作品について紹介しておこう。

🌴エイモス・チュツォーラ『やし酒飲み』

 エイモス・チュツォーラ(1920-1997)ナイジェリア出身の作家である。しかし、小説自体は英語で書いていた。したがって、この『やし酒飲み』という作品も元々は英語で書かれたことになる。

 出生年を見ると1920年とある。日本の作家では、安岡章太郎や阿川弘之と同い年である。またチュツォーラは第二次世界大戦当時、英空軍で働き、ビルマに赴く。

 作家の情報についてはこれぐらいにして、作品の方を取り上げていこう。この作品はまさしく幻想文学である。文体も物語も設定も、かなりフワフワとしている。現代の日本人の常識というものがいかに狭小なものかを思い知らされる。ぜひ、この小説に酔ってみてほしい。

 まずは出だしから見ていこう。

🌴グッと引き込まれる最初の一文

わたしは、十になった子供の頃から、やし酒飲みだった。

 初っ端から、主人公は衝撃的な告白をする。絶対に現代の日本では書けないであろう小説だ。

 さらに一文目でタイトルにある「やし酒飲み」について触れられている。衝撃的な名詞が並んでいるけれども、何を言っているのか、現代の日本の我々には全く想像がつかない。未知の世界へ出発する高揚感。我々はこの一文からそれを感じ取るのだ。

 さて、続きを読んでいこう。

🌴見たことのない文体

 わたしは、十になった子供の頃から、やし酒飲みだった。わたしの生活は、やし酒を飲む事以外には何もすることのない毎日でした。当時は、タカラ貝だけが貨幣として通用していたので、どんなものでも安く手に入り、おまけに父は町一番の大金持ちでした。

 一文目の続きを出してみた。このような小説は初めてだ。常体と敬体が混じっている。学校の中では落第点を取りそうな文章である。だが、これが面白い。

 原文には目を通していないから、原著でどのような表現になっているのかは確かめていない。しかし翻訳者はわざわざ、このような表現を選んだということになる。では、常体と敬体を混ぜる表現には、どのような効果があるのだろうか?

 この文体も小説の幻想性を引き出すための仕掛けの一部であると、私は思う。常体と敬体を半々ぐらいに混ぜると、語り手から胡散臭さが出てくる。語り手の人物像がフワフワしているからだ。これもまた幻想性を生んでいる。

🌴さらに飛び出す奇抜な設定

 この後もまだまだ、奇抜な設定が飛び出してくる。主人公は裕福な家庭に育ったのだが、父親からとんでもない才能を見抜かれてしまう。少し引用してみよう。

 父は、わたしにやし酒を飲むことだけしか能のないのに気がついて、わたしのため専属のやし酒造りの名人を雇ってくれた。

 現代日本では、個性を伸ばす教育が流行っているが、さすがにこのような育て方はしない。こんなこと、日本では書けない。このような部分にアフリカの小説の生命力を感じる。物語もまだ序盤であるのに、濃密な驚きが読者を襲ってくる。

 では、物語を進めていこう。主人公が25歳になったころ、父とやし酒造り職人が立て続けに死んでしまった。これは困った。やし酒が無くなってしまう。そこで主人公は、死者の国に行き、職人を呼び戻す必要がある。

 いきなり死者の国である! この小説では、現実から地続きにこのような世界があるのだ。町から森へ向かえば、魑魅魍魎(ちみもうりょう)の迫る別世界。読者も主人公と一緒にこのフワフワとした世界を歩くことになる。つまりはこの小説に酔わされることになるのだ。

 

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