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『ワン・ワールド税』と所有とコモンについて、ビッグイシューのヴィヴィアン・ウエストウッド記事から(エシカル100考、66/100)

ビッグイシュー10月15日号のインタビューがヴィヴィアン・ウエストウッドだったので購入。ヴィヴィアンといえば社会的アクションをハイファッションに盛り込んだデザイナーというかアクティビストなので、どんな話しが載っているのかなーと思い、読んでみた。

気候危機について「未来とは目の前ではなく、果てしなく遠いところにあるように感じてしまいますが、今私たちはまさに(山火事のような)喫緊の問題に直面して、行動を起こす必要性に迫られているのです」といった(まあよくある)メッセージから始まり徐々に面白い内容に。

「気候変動を火事と考え、政府が消化を引き受けたとしましょう。しかし残念ながら、政府は消化と同時に、火に油を注いでいるのです。その油とは金融システムのことで、これを変えない限り、実質的な変化など起こせるわけがありません」。

ヴィヴィアンがそんな警鐘から"未来のかたち"だと提唱するのが、「誰ひとり土地を所有しない『ワン・ワールド税』」。

『ワン・ワールド税』ってなんだ??

「現在の経済システムは土地や不動産、抵当に頼りすぎていて、それがサブプライム・ショックといった経済危機を招いている」「ワン・ワールド税は借地権のようなもの」「誰ひとり土地を所有しない状態。土地は国によって管理され、借りた人は『賃料』という税金を払う。それが国民保険サービスや国が行うべき事業の財源になる」という仕組みらしい。

「土地の所有者がいなくなれば、より平等な社会を目指すことができる」。

先日、元鎌倉投信の新井和宏さんが起こした共感資本社会を実現する会社eumoに、元ダイヤモンド・メディアの武井浩三さんが加わったことを記念した(?)座談会を聞いてきた。

武井さんは不動産業界のご出身なので、土地所有についていろいろなお話しをされていて、例えばベルリンの壁崩壊後のドイツで東ドイツの方を移住させてコンパクトシティを作った事例や、中国での道路作りの話しをしてくださり、人が土地を所有し続けることが本当に社会に有益なのか?という疑問を投げかけてらした。

eumoも「時間とともに消えるお金」である共感コミュニティ通貨なので、金銭の所有というものへのアンチテーゼといえる。

「所有」って、なんなんだろう。

エシカルという領域で活動する身としては、「消費」という言葉をなくしたいと思っている。物はいきなり出てきて、費やして消えてしまうわけではない。誰かが作り、自分の手に渡り、その後ゴミとなったとしても誰かの手に渡って、循環していくのだ。消えたりしない。

でも「所有」という概念があるから、私という枠内だけでものを考える。手元にある所有物を費やして、やがて消えてしまうと思いこむのではないか。物が社会や世界全体で循環していることは、「所有」という枠だけ見ていると認識できない。

同時に、僕は人事・HR分野でも仕事をしていて、「雇用」という言葉もなくしたいと思っている。「雇用」は(やや偏った言い方をすれば)企業が人的資源を所有すること、になってしまっていると思う。

だから人を「消費」するような企業行動が、いまだに後を絶たない。

「所有」についての考え方が変われば、というか「所有」をなくせば、「消費」や「雇用」も大激変するのではないかと、妄想する。

それってシェア?と言われるだろうけど、シェアともちょっと違う気がするんだよなぁ。

シェアって、「誰かのものをみんなでシェアする」ということに思えて。そもそも「誰かのもの」がなくなるのが「所有」なき世界なんだろう。シェア概念について理解が浅くて恐縮だけど、、、。

と同時に、それって共産主義?というのもちょっと違う気がする。共産主義とかマルクス経済についてはもっと勉強しないと、、なんだけど・・。

サステナビリティへの取り組みが進んだスウェーデンに行ってきたエシカルコンシェルジュの話しを聞いて思ったこと。

マルメ(マルモ?Malmö、SDGs先進都市として有名)とかでは電動キックボードのレンタル利用が一般化していて、民間企業がアプリ連動でいろんな場所に設置して、使う人はそれを利用後は指定場所ではなくて、街のそこらへん(乗って行った先の道端とか)に乗り捨てていっていいらしい。

別の利用者がアプリで近くに乗り捨ててある電動キックボードを見つけて、また使うそうな。だからどこに返してもいい、というか返すべき場所がない(一応、まとめて停めてある置き場はあるみたい)。

これって、街にいる人たち(住人もよそ者も)みんなでゆるやかにその電動キックボードを共有しているってことなんじゃないかなと思う。

街の血液のように、その中を移動する人達とともに電動キックボードも移動し、循環を作り出している。所有ともシェアとも別物な感じがする。

・・言語化難しいな。。

そこにあるのは、「コモン( Common)」という概念な気がする。

「コモン」って、無茶むちゃ難しい。どう言語化すればいいのか、、。

難しいので今後の宿題にするけど、そう考えるとエシカル云々の底に流れているのは「コモンセンス(Common Sense)」というものなのかもしれない。

トマス・ペインの『コモン・センス』は読んだことがないけど・・。

「エシックス(Ethics)」と「コモンセンス(Common Sense)」ってどういう関係になっているんだろう??

・・・だんだんよくわからなくなってきたのでやめるけど、とにかく「所有」ということについてはよーく考える転換点にきていると思う。

「所有」がなくなるとどうなるんだろう?とか、いろいろな場面で考えると面白いかもしれない。結婚とかね。家族とかね。

そんなこんななヴィヴィアン・ウエストウッドでした。ヴィヴィアンがビッグイシューのためにデザインしたTシャツ欲しいけど(←所有欲)、買えるのかな??

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