70億人に塗れろ。その中から選べ。

 仕事もプライベートも予定を詰め込みがちだ。
某魍魎の匣の某キャラクターのように、隙間なくみつしりと予定が詰まっていると安心する。
暇だと眠ってしまうだけなので(睡眠大好き)
自分からも友人知人には声をかけたりみんなで集まる企画を立てたりしがちだけれど、相手側からの誘いのアクションというのはわりと容易に自己肯定感を満たすなあと最近感じる。
もともと自己肯定感はエベレストよりも高いけれど、それでも更に積み上げて頂けるのはありがたい。

 人間関係が面倒みたいなことを嘯き、そうしたものを丁寧に積み重ねずに少しでも嫌になれば放り出す癖が見受けられ、実際にそうしてしまう方々の中で、幸福そうな生き方をしている方を目にしたことがない。
よっぽどの強い意志で孤独を選択しない限りは、孤独は人間を蝕む。
他人に塗れていない人間、その中での軋轢やストレス、チープな一体感を浴びた経験が少ない人間ってね。
やっぱり精神がとてつもなく幼稚ですよ。
身近な狭い世界の観測で言い切るのは申し訳がないが。
大量に存在する「好きではない人間」とも適当な関係性を築き「好きな人間」との間にだってどうしようもなく生まれる面倒ないざこざを乗り越えて、そうした先にようやく至れる満足感ってやっぱりあるぜ。
こちらから声をかけて誘う程の好意がどの程度のものなのか知っているからこそ、自分自身が声をかけられたときに嬉しく思える。
人は一人では自分の姿も心もきっと上手く観測できないのだ。
周囲に存在する無数の人間が自分に向ける視線や想いを受けてようやく自分自身の姿を見出せるのだ。
関わる他人がたくさんいればいるほど自分自身は強く深く正確に形取られていくぞ。
それを経なければ自分自身なんていうおぼろげなものが掴める筈がない。

 貴重でないどうでもいい大量の他人と関わるからこそ、その中で能動的に関わりたい大切で特別な他人の尊さが理解できるし、自分を選択し関わってくれるありがたさに感謝できるようになる。
多分。
70億個も(もう80億だっけ?)大量のどうでもいいものが積み重なった山の中から、お互いにどうでもよくないと感じるものと手を繋ぐって、良い物語だろ。
それが友人でも恋人でも。
貴重なものは、貴重でないものとの対比でしか理解できない。
あなたの人生に貴重なものが一つもないのなら、それは貴重でないものに触れていなすぎるからなのかもね。
とりあえずゴミの山にダイブしてこい。
「ゴミしかねえぞ!」
って悪態を吐きながら宝物を探せ。
きっと何個かは見つかる筈だから。

 というわけで、春先に向けて手帳にスケジュールを書き込む度に、相手をしてくれる方々の名前を書く度に、ありがたいなあと思うのであります。
ありがとうね。
みんなシロ子と雛菜の次くらいに好きです。

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