欲しいものが手に入ろうが入らなかろうが

 おばあちゃんちで住み始める前の小学校低学年くらいの頃、まともな親やら家族やらが欲しいと死ぬほど焦がれていたことがあった。
世間一般的には家族を構成する大人って、好きにブラブラして家庭に金も入れないクソだったり、好きにブラブラしてたまに帰ってきたとしても知らない男を引き摺り込んでガキの寝ている隣りの部屋でヤリ始めるクソだったりしないらしいし、家庭というものは基本的には温かく安心できる場所なんだとどんな本を読んでも肯定的に書かれていて、凄えな、羨ましいな、欲しいなと思っていた。
まあでも当然のことなんだが、この世の中にあたりまえにあるものをみんながみんなあたりまえに享受できるとは限らない。
どれだけ欲しかろうが何だろうが、貰えないものは貰えない。
どんなコトでも、どんなモノでも、自分の手に入らないものは手に入らない。
自分が死ぬほど欲しいモノを他人が粗末に扱っているのを見てイラついても、それを代わりに貰えはしない。
自分が所有できるモノゴトは多分最初から全て決まっているのだ。

白ひげのこれがワンピースで一番グッとくる

 フランクルが『夜と霧』で書いているように、人間に与えられた自由って、投げ込まれた運命とそれにより生じた環境に対して、自分の選んだ好きな姿勢で対峙してもいいという自由だからな。
手に入らないモノゴトにいちいち嘆き憤り、泣いて怒って生きる自由を選択してもいいけれど、個人的にはそれが素晴らしい人生だとはどうしても思えないよな。
何があろうが不貞腐れず自棄にならず放り投げずに積み重ねていきたい。
自分がクソだと思っていた人間の生き方を絶対になぞらないように。
意志の力で自分の中のクソさを捩じ伏せて、なるべく良く、なるべく善く在るように。
どう考えても俺は製造を担当したクソ二人のクソな部分が遺伝しているのだ。
客観的に眺めたらやっぱり似てるもん。
俺も自分が本当にやりたいことをやりたいように選択した上で誰かを切り捨てたとしても心なんて全く痛まないだろうなという自信があるけれど、なるべくそんなことをしたくないし、そんなパーソナリティが素晴らしいとはこれっぽっちも思わない。
他人を利用し、蔑ろにし、捨てるようなことがないように在りたい。
人生とのそうした対峙の仕方を自由に選択したい。

 と、まあそう願いつつも、しっかり今年もクソみたいな言動を繰り返した自覚はあるので、来年はよりいっそう自らを律して生きていきたい。
小さな親切や小さな優しさを忘れないように、身近な人間を大切に。
くたばる瞬間までに少しでも善い人間に至れるように。
諦めずに気長にやっていくのです。
少し早いですが、今年もお疲れ様でした。


追記
オススメされて始めたシャニマスにどハマりしている。
ゲームのストーリーいいですね。
百合カプ厨なんだが、とおひなもまどひなも絶対数が少ない。
とりあえず何か雛菜の薄い本とかグッズください(貪欲

かわいい。死にたい。殺して。


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