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その島のひとたちは、ひとの話をきかない

人が精神病になるのは、人の中にいるときだ―

なんだかんだ、心がしんどくなるときって、自分以外の誰かに要因がある。

自殺大国日本。
その息苦しさの原因が少しわかる気がした本だった。

自殺希少地域。他の地域と比べて、自殺する人が少ない地域。
いくつかの地域(島)を、精神科医の著者がめぐり、なぜこの島の人は自殺をする人が少ないのか、精神を病むことが少ないのかについて検証していく本。

基本的にどの島のひとたちも「自分がそうしたいから」という軸で動いている。人を助けるときも「あなたのために」で動いてはいない。「私が助けたいと思ったから」動いている。

人間関係が狭く濃くなると派閥などが出てややこしい。
だが、広く薄く、各々が自分の考えで動くのであれば派閥は出来ない。

問題が出来たらお互いが納得出来る落とし所があるまで話し合う。
適当にその場しのぎで体裁を整えることはしない。
自分がしたくないと思ったらしない。したいと思ったことはする。

自分は自分、他人は他人。

何だか読めば読むほど、これ、ASD、アスペルガー的である。
わが道を行く人々が集落を作ったらこうなった、のかもしれない。

アスペルガーの人間と真面目に向き合うと、カサンドラになって病んでしまうなんて話もよく聞くが、アスペルガーの人間に真面目に向き合いすぎてはいけないのだ。自分軸を大切にしまくっていると、相手と向き合うより自分と向き合うことが優先になる。

なのに、定型発達と今言われている人々は、どちらかというと、自分より相手を優先するからアスペルガーを相手にすると病むのだと思う。

私も自分が誰かを助ける時は「私が助けたいと思ったから」助ける。
何かをプレゼントするときは「私がプレゼントしたいから」贈る。
やりたいと思ったことは全力でやるし、やりたくないと思ったことはしない。
納得出来ないと思ったことはきちんと話し合って納得できるまで話したい。

だが、これらの行動は、煙たがれたり嫌がられたりすることのほうが多かった。

納得できるまで話そうとすれば「細かい事までうるさい、理屈っぽい」と嫌な顔をされた。納得できないまま進む話が不愉快で興味を失えば「社会性がない」「協調性が無い」と言われた。

オリンピックやワールドカップで世間が盛り上がっているとき「見た?」と聞かれても「興味がないから」と言えば「非国民」と言われた。
なんで興味がないのに、誰かと話を合わせるために自分の時間をそれに使わなければいけないのかと思った。

映画館の貸し切りも。子どもを集めたイベントも、私がやりたかったからやっただけだった。別に、子どもたちのために!みたいな崇高な理由なんかなかった。なのに周りは、崇高な精神で動いたかのように私を褒め称えた。

何だか違和感があった。
多分これが、マイノリティとしての感覚なんだろうなぁと諦めていた。

でも、少数派、マイノリティである故の違和感だとしたら、自分みたいな人間ばかりで周りを固めたらもはや少数派ではなくなる。
生きづらさが、少数派であるゆえだとしたならば、もしマジョリティ側になれたときにはとても楽になるのではないだろうかという想いがあった。

そして、ここ数年。
自分がやりたいようにやることを貫く生き方をするようになって、同じような考え方、同じような行動パターンをする人が自分の周りに増えてきた。

人間関係もそんな濃くなく、気まぐれに声をかけあう関係性。
やりたいことが一致したときに、誰もそれを否定せず、やりたいことのためにならどこまでも対話を重ね、驚くほどあっという間に話が進む。

今の人間関係で、私は、マイノリティではない。
そうなってからその人間関係で病むことはほぼない。

深くは関わらないけど、相手はなんとなく自分のことをわかってくれているというなんとも言えない安心感のようなものがある。

無理にコミュニティとかに属して、仲間だからという漠然としたもので繋がっているものとは何かが違う。

とても、居心地がいい。

この本に出てくる島も、きっとそんな人々が集まっているのかなと思う。
自分が独り身で身軽だったらもう引っ越しの準備を始めているかもしれない。とても興味ぶかい。

ちなみに作中で、おそらく定型発達であろう男性が島で数ヶ月生活した話があって「こちらが興味がある音楽の話をしたとき、大抵の人は、とりあえず聞いてみようとなるはずなのに、この島の人達は自分が興味を持たない限り絶対それを聞くことは無い」

”大抵の人ならそうなるはず”

”普通はそうだろう”

その価値観がこの島にはないのだ。

ちなみに、子どもの特別支援についてもこの地域では懐疑的なのだが、それがなぜかと言えば「みんな違って当たり前なんだから、いちいち分ける必要はないだろう」「むしろ、違うことを受け入れながら一緒に生活することで双方大切な経験を積んでいくのだ」という、最先端のインクルーシブ思想が当たり前に根付いているからなのであった。

大きな声を出す子がいたとしても「あの子は興奮すると大きな声が出ちゃうんだものね」と、その人その人の個性を島の人間みんながそれとなく把握しているのだという。だから、子育てもしやすいのだそうだ。

高齢者福祉施設などもそう。がんこで偏屈な人がいたとしても、みんながそれを理解している。
都会の方だと精神安定剤を飲んでいる利用者さんが多いのに、誰一人それを飲む人はいないのだという。

『あの人が暴れるから安定剤飲ませておこう』が都会の考えだとしたらこの島では『あの人が暴れるのは奥さんに先立たれてからなんだよね』とか、その人の歴史や、個性を踏まえてみんなが理解した上で接していくそうだ。
そういう環境だと、人は病まないのかもしれない。

もちろん自殺がゼロなわけではないから、この島で生きづらさを感じる人もいるはずではあるのだが、もしかしてそれは、現代社会のマジョリティ側にいる感性を持つ人なのかもしれない。

この島に移住するというのはあまりに突拍子もないのでやれないとは思う。

けれども、自分の周りに自分に近い考え方の人を据えることを心がけるだけでもしかしたら自分はどんどん生きやすくなるのかもしれない、と思った。



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