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ゆるっと気軽に話せる時間。

今わたしたちに必要なのは、対話する時間だと思う。

「対話」というほど、深くなくてもいい。
「会話」ができる時間。

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もちろん、普段からよくいろんな話をできる相手がいたり、家族や友人とよく話すので満足している方もいるだろうし、職場でも和気あいあい話ができる方もいるとは思う。

けど、職場での雑談、圧倒的に減っている。リモートワークになって、わざわざ話すほどではないことが、話さないようになっている。
会議前後とかの、本題と違う世間話とかちょっとした情報交換とか、リモートワークできっちり時間で会議開始して終了ってのだと、できなくなるしさ。
雑談みたいなので呼び止めたり呼び出したりしないしさ。(めっちゃ仲いいとするかもだけど。)

必要事項以外を話す時間って、大事だと思う。

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社内のキャリア相談でも、「話ができない」っていう声をよく聞く。

2,3年目の方の面談をすることが多かったので、余計になのだと思うけど。
先輩や上司に相談したくても、リモートワークだとどれくらい忙しそうかわからないから、いつ聞いていいかわからないとか。じゃましたらいけないから、できるだけ聞かないようにしているとか。がんばってみても無理だったときに、最低限の必要なことだけは相談しているけど、という感じ。

チャットで連絡などはしているけども、文字だけだとわかりにくいことも多いし、必要なことや確認連絡みたいなこと以外のことはやりとりしづらい。
必要なら話したいと声かけるのもできるけど、リアルで近くにいるときと違って、様子がわからないから声かけたら悪いと思ってなかなかかけられない。

必要なことは話す、っていうの、それは「報告」「連絡」「相談」であって、会話じゃないじゃん?

報告とか連絡とか相談とかって、話すという形をとっていても、話しているというのとは違うと思う。
通信する、というのに近いと思っている。必要なデータをやりとりするみたいな。

そうじゃない、ただの「会話」が必要だと思う。

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私は、コロナになる前にはしょっちゅう行っていた場所があって、そこでのみんなとの対話がすごく好きで。
1年くらい会えていないけど、それでも、オンラインでたまにでも会えるだけですごくほっとする。

一応、何かしら議題あったりするのだけども、そういう、必要な話以外の話もできて、お互い話聞いて話して、そういうのを楽しんでいる感じが好き。

忙しくても、ちょっとでもその場にはいってその感じを味わいたくて参加してしまう場所。

今年になって、読書会とか勉強会とかで、同じような感覚を得られそうだなぁと思える場所に参加したりもしていて、そういう、なにげない会話や対話の場を求めている自分を感じる。

評価もなく、ジャッジされることもなく、交渉調整とかでのお互いの様子うかがってのやりとりでもなく、連絡などの無機質なやりとりでもなく、単に話したいこと話していい場所。

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そんなの、ほんとは当たり前に存在していていいはずが、仕事だからとか、友達ともお互いの状況慮ってとか、この状況だとリアルで話せないからとか、そんなので減っていっている時間だと思う。

私はそういう時間を得られることで、ほんとパワーを得られているし、そういう実感がなくても、必要事項以外の余白の時間って大事だと思う。

ゆるゆると話しているところから生まれたり深まったりする関係性とか。
そんな時間でちょっとほっとできる感覚とか。
そういうのがあるから、またがんばれるというのもあるし、そういうふとした時間からうまれるものもある。

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今は、自分が参加したいそういう場に参加することが多いのだけど、自分が提供する側にもなりたいと思う。

ゆるゆると話して、ほっとして安心して、また元気になったりする場。元気にならなくても、そこではゆるっといて大丈夫な場。
どんな話しても、否定や批判されずに、評価やジャッジされずに、ただ話していい、ただそこにいていい場。

社内でもそういう場をつくりたいと思って動いているところ。
自分のチームでも、できるだけ話す場をつくりたいなぁと思う。結構雑談まじえて話したりもしているけど、特定の人だけでなくみんなと。
ほんとは、キャリア面談でも、話したいことないけど全員受けろって言ってきた、みたいな人とは、雑談してそんなのもいいんだって思って帰ってもらいたい気がする。

そういう、どうでもいいようで、それが大事な、ゆるっと気軽に話していい場を、もっと広げていきたいと思う。

#日経COMEMO #やさしい時間

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