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わたしスペース*手さぐり*

・今日のおはなし

本来のわたしと在るため
アレクサンダー・テクニーク
(自分のつかい方)を学び、実験しています。

片桐ユズルさんの紹介にて
「アレクサンダーと私
[アレクサンダー・テクニーク]への道」

ルーリー・ウェストフェルト
片桐ユズル+中川善晴=訳  [壮神社]

という本を(もう売られていないので、古本で)とり寄せて

この巣ごもり期間、今のタイミングで一気に(夢中で)読みました。

ユズルさん曰く
「アレクサンダーさんから
手さぐりで学んだという本を
みんなで手さぐりしながら訳した本」

著者のルーリーはアメリカのニューオーリンズ生まれ。F.Mアレクサンダーのレッスンをうけて小児麻痺の後遺症を克服する過程で、第一回目のアレクサンダー・テクニーク教師養成コースに加わり、帰国後ニューヨークとバーモントでレッスンをする。

わたしはアレクサンダー氏の発見したワーク自体には感銘をうけて、どのようにプライマリー・コントロールを探求していったのかは、知識としてはあったのだけど、

今まで、アレクサンダーさんの人柄まで知ろうとしていなかったなあ。

訳者のあとがきでユズルさん
からもあるように

ことばにするのがむつかしい
「からだ」からのアプローチを
ふつうのひとの、ふつうのことばで、いいあらわそうとしている。

ルーリーは、ここで、混乱の時期を経過したのちに、先生のへんなところはへんなところとして、おいておきながら、まなぶべきことはまなぶという気もちにおちつく。

わたしはこの人間味のある人たちが
ことばにあらわせないが普遍的なものへの
熱望から、手さぐりしながらも、学んでる姿にとても好感がもてた。

20年程前にわたしは、目的も意味もよく分からないまま、求めている何かがある気がして、アレクサンダー・テクニークの学びに入った。それこそ手さぐりで学んでいた。

そして、わたしの求めている何かがよく分からないまま、学びからはなれてしまった。


廻り廻って、再び学び始めた
今ならこういえる。

わたしにとってのアレクサンダー・テクニークはプライマリー・コントロールによって、

本来のわたしから、世界に関わっていく
助けとなるもの。

このことは変わっていくかもしれない。

ルーリーの本をよんで、
こころ奥底(潜在意識)が揺さぶられたから。


プライマリー・コントロール
(初源的協調作用・統合機能)においても

ルーリーの“ことば”によって、より深入りできたので、備忘録としても記しておきたい。

(プライマリー・コントロールとは、
あたま・首・脊椎(背骨・背中)の関係性が
調うことによって、総合的にからだ全体の機能が統合されるもの)

まず最初に
首はらくだと思い、
それから、あたまは前へ上へいくと思う。
(*あたまを空間的に前に出すことではない)

ここで、「あたまは前へ」というのは
「首との関係において前へ」の意味。

背中が長くなり広くなる

ということばについて。

背中というのは「骨盤」も含まれているということ。(*腰までで終わるものではない)


多くのわたしたちが間違った解釈をしてしまう“ことば”であると気づかされました。

馴れ合いで学ぶのではなく、
原点に戻るって大切だなあ!


つづく…

16/2/2022,mayumi

よんでくださって、ありがとうございます:)


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