父親

 男は父親になる。

 といふのは昔の話で、今の日本では、男は母親になってゐる。それがイクメンと言はれて褒められたりする。
 わたしは、それを嘆いてゐるわけではない。

 ただ、
さういふ優しい父親、
働く妻に代はって子育てを行ふ父親、
将来は幹細胞を使って胸に乳房を付けて授乳もするに違ひない父親、
息子を殴れない父親、
子供と話し合ひをする父親、
かういふ、一言で言へば、
愛に満ちた父親」は、ニセモノだと思ってはゐる。

 男には愛は無い。持ちたくても、持てないのだ。

 人間の女は、ひとりの男との絆を作る。
 他に生き方は無かった。ひとりの男の女となって守ってもらはないと、他の男たちに襲はれる。避妊法が無い時代だから、現代の女性たちのやうに、複数の男を手玉に取るのは無理である。
 男たちは力づくでセックスをしてくる。子供が次々と産まれてしまふ。
 子供を理由にセックスを拒否すれば、ひとりの女を共有してゐる男たちはためらひなく子供を殺す。

 セックスは「子孫を残すため」、つまりは生殖の一環なのだらうが、男に関する限り子孫とか子供とか、そんなことを考へてセックスしない。
 むしろセックスは殺すことのはうに結びつきやすいくらゐだ。

 だから、セックスをするのに邪魔なら自分の子供であれ他の男の子供であれ、男は殺すことができる。
 父親の原型はここにある。
 父親とは、不要な子供は殺すことのできる男性だ。

 人を殺せない人間は男ではないし、自分の子供を殺せない親は父親ではない。
 人を愛せない人間は女ではないし、自分の子供を殺す親は母親ではない。

 

 

 母親と父親の役割の違ひを寓話で説明してみる。
 或る若い女性を仲間をそそのかして輪姦して殺した若い男がゐる。その男の母親は男が死刑になるのをなんとか止めたい。どんなに酷いことをした人間でも、それが自分の腹を痛めて産んだ子供なら、「あの子は、ほんたうはわるい子ぢゃないんです」と本気で思へるのが母親だ。
 一方、どんなにお気に入りの自分の子供でも、社会に害悪を与へる者ならば、決して許さないのが父親だ。
 社会正義に鑑みて、父親として、制裁を下すのである。それが父親だ。

 男の自決は、内なる父親による処刑である。
 父親は、だから、男にとって一番怖い存在であると同時に、唯一、良心の根源となる存在だった。
 かつては自分を殺すこともできる怖い父親との関係が無かったなら、男には命がけの良心は無い。
 良心めいたものを見せびらかすだけで、決して命をかけない。

 
 今は、わたしも含めて男には幸ひにも、父親のゐない世界になった。
 男にとって自分を殺しに来る父親が心の中にゐなければ、どんなに自分自身に対して恥ずかしく情けないことをしてゐても、自分の命に係はる破局的な事態にはならないのだ。


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