ロボトミーと心理というお仕事
YouTube動画に精神科医がたくさんいる。
暇なんか。
暇なんです。
精神医学とか臨床心理学は学問ではなく、マーケット。
そもそもが
データ
(立論の材料として集められた、判断を導く情報を内包している事実)
を客観的に取り扱えない(質的研究といっちゃったりして)どころか、
データ自体が無い、
疑似科学の世界です。
お金が儲かるので、ひとつの世界を構築している。
株取引みたいなものかな。
手に触れたり見えたりする実体として何も無い。
ウソだと思う人は、精神科医のYouTube動画でも本でもなんでもいいから、みてください。
「それってあなたの感想ですよね」の世界です。
言葉を取り去ったら、向精神薬だけしか残らない。
人も、人と人のつながりも、何も無い。
フロイトは文学者なんです。
ゲーテ賞をもらったことを本人も喜んでますよ。
自分の書いた論文を文学的に評価されたら、科学者なら怒っていいと思うんです。でも、ゲーテに憧れ、ゲーテを科学と文学の二兎追って二匹とも手に入れた人として尊敬していたフロイトは
「ゲーテ賞をいただく。精神分析家の本懐である」
と思ったらしい。
今は、現役の科学者は哲学なんかしている暇は無い。森鷗外は二十世紀初頭のインテリの典型で、科学を真理を見出すものとして信仰していたが、それでも、結局は、文学が忙しくなって科学者であることは捨てた。
両方は無理だと思った。
それは、さすが森さん(←なれなれしい)だと思います。
科学者を続けていたら、もっと人を殺していたかもしれないし。
科学と文学と哲学のお手玉遊び、ジャグリングなんて、ゲーテの時代までで、今は、無理です。
中井久夫先生はじめ、精神科医で本を書く人は文学的評価がいまだにうれしいみたいですね。
医療現場ではすることがないから、暇で暇で仕方ない。
できれば、組み立て作業のような単純で退屈な精神科診察・治療をやめて文筆に専念したいよね。
目指せ、テレビのコメンテーター。
詩人は宇宙飛行士になってはいけないという言葉があります。
宇宙の神秘に触れて作業を忘れたら大変なことになる。
文学者気取りの精神科医が今のような精神医療をもたらしたとわたしは思っています。
「今のような精神医療」は、次のようなものだとわたしは思っています。
①精神外科をタブー視して精神分析遊び(つまり、心理から精神病理を解釈して治療法も作り出すこと)、
②治療は製薬会社に丸投げをしている(つまり、製薬会社がもってくる発症理論を丸のみして自分で研究しない、社会経済文学などいろんな本を読んで読書感想文を書くのに忙しいから)
ロボトミーと聞くと何を連想しますか?
ロボトミーをヒトラーやナチスのような思考停止用の言葉にしたのは誰だ?
「きみはどう生きるべきか」系のけーもー本を書く暇があるなら、ロボトミーの検証をしてよ。
おれって文才がある、あたしって哲学しているとうぬぼれている精神科医たち、あんたたち、医学界から出ていきなさいよ←マツコ・デラックスさんの口調で
出ていくときは、ぜひ、最近は心理師とか呼ばれて喜んでいる心理カウンセラーたちも一緒に連れて行ってください。
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