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他国の食文化に対して

喜多野さんが、先程、此の記事を書かれましたんで、読まさせて頂きました。

で、文在寅が自国の犬料理(犬食文化)を“自分の国際的な評価を上げる為、批判から逃げたいだけ”と言う非常に自分本位な理由だけで禁止しよう、とする“文化破壊”の酷さに眩暈がしまして、な…。

言うなれば、我が国で例えるとすると“馬食・鯨食を、他国からの評価の為に、批判を回避する為に全面禁止する”みたいな暴挙を犯す、みたいな話なんすよね、コレ…。

勿論、コレが“絶滅危惧から脱却させる為の已む負えぬ”措置、ってェんなら話は別ですよ。

増えるまで待って、増えたら喰えば良いんですから…。

他にも、例えば“ソレ”を喰う事で、病原菌が蔓延するだの、衛生的にヤバくて食中毒やら何やらが蔓延する、とかなら話は別です。

中国に於ける野生蝙蝠とかを食したが為に、コロナの新種が蔓延してパンデミック、とか、イタリアのカース・マルトゥ(蛆虫チーズ)みたく、“幼虫が胃酸で生き延びて腸内に留まり、仮性筋症と呼ばれる状態になる可能性がある”から禁止、みたいな話なら別なんですよ…。

ジビエの生食禁止、とか、牛の生レバー(生内属)食禁止、豚の生食禁止、と言うのもコレに当たるので、ソレで禁止します、ってェんなら、残念だけども納得はせざるを得ない訳です。

けども“犬食”とかの場合、そう言う事例すらも無い訳ですわな?と…。

其の理由が単なる“感情論(可哀想・こんなに可愛いのに)”的な意味合い“だけ”で在るのであれば、ハッキリ言うて、ソレこそ“多様性の全否定”でしか無いし、何よりも“内政干渉”と何も変わらん野蛮な行為でしか無いので、本来なら“ブチ切れ”なけりゃあ成らん話なんですよね、コレ…。

ま、大体に於いて、こう言う“抑圧”とかをして来る様な連中、と言うのは、ホンマに“リベラリズム・リベラリスト”で在る事が多い、と言うか、ほぼ全体が“ソレ”なんすけども…ね…。

嘗て、ホンの一昔〜二昔前なんぞ、“虫食”なんてェモンは“未開の民”的な印象や理解で在り、何なら“嘲笑の対象”みたいな扱いでは在った訳です。

けども、今と成っては、虫食なんてな“食糧難を防ぐ為の立派な選択肢”へと大きく変貌してる訳です。

オイラから言わせて貰えば、だったら犬だろうが猫だろうがも、“食糧難に成った時の為の食糧の選択肢の一つ”として“家畜化も視野に入れて”考えたって良かろう、と、思ったりする訳で、ね…。

と言うか、抑も人間だって、本格的に強烈な飢餓状態に陥った場合、何なら最終手段としての“共喰い”を選択するでしょう、何の躊躇も無く、ね…。

嘗て、“ウルグアイ空軍機571便遭難事故(アンデスの聖餐事件)”と言うのが有りましたやんか。

コレなんて良ェ例ですわな。

ソレと比べたら、たかだか犬だろうが猫だろうがを喰らうなんてェの、屁でも無いでしょうに、と…。

そう言う意味合いで言わせて貰うなら、他の国の食文化には、安易な自己満足や自意識、道徳心やら何やらと言ったモンだけで口を出すな!としか言えませんな…。

スライの映画で“デイライト”と言う作品が在りまして、其の中の台詞に、こんなのが在ります。

“最初に生牡蠣を食ったヤツのことを想像しろ。そいつはよっぽど腹が減ってたにちがいない。一見、あんな痰や鼻水みたいな姿形をしたエゲツ無いモンをだ。ヤツはソレを死ぬ覚悟で目をつぶって飲み込んだはずだ。だがヤツは食った!”

今の犬食に対する偏見や嫌悪を持ってる人間に対して、此の台詞を突き付けたいですな、オイラは…。

#食文化 #多様性 #差別 #偏見 #ポリティカルコレクトネス #ポリコレ #文化破壊

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