見出し画像

『モノ』の向こう側に繋がることのゆたかさ

こんにちは。大家輝です。

今日は僕のこれからのあり方の決意表明もかねて、僕自身の仕事のお話をしたいと思います。自分ごとで大変申し訳ありませんが、もし宜しければ、お時間を少しだけ頂き、お付き合い頂ければと思います。

そもそも僕は何者なのかというと、大阪の高槻市で食のセレクトショップカフェとケータリングのお店『FOR THE TABLE』を経営していた個人事業主です。
経営してい『た』という言葉の通り、今はコロナ情勢の影響でお店として機能していません。そして今、経営の主軸だったセレクトショップとケータリング事業を手放そうとしています。

理由はおおよそ想像できるかと思いますが、三密回避のためにケータリングができない状況にあります。僕のお店の稼ぎ頭はケータリング事業で、ここが機能していないと生活ができません。

ですが、コロナの影響はあくまできっかけで、事業を手放す本質的な理由はそこではありません。結論から言うと、僕がやりたいことを成し遂げるために、これらの事業を手放すこと決断しました。

僕がやりたいこと、それは『モノの裏側の世界をみんなに伝える』ことです。

これを実現するためには、食のセレクトショップやケータリングでは難しいと判断した為、事業をたたむことにしました。

なぜ今の事業だと難しいのか、『モノの裏側の世界をみんなに伝える』とはどういうことなのか。そして、それを実現するためにどうして行くのか、順を追って説明させてください。

■商品の裏側にはたくさんの哲学が込められている

僕は昔から、変な人が好きでした。くれぐれも誤解のないように言っておきますが、変質者のような人ではありません。僕の言う変な人は、何かしらの変態的なこだわりをもっている人のことです。

こういう変な人たちは、自分とは違う世界の見え方をしています。それぞれ自分の興味関心のあることに徹底的に向き合い、掘り下げ、自分なりの答えや目標みたいなものを見つけている人たちがほとんどです。僕は、その目線から発せられる世界観が大好きなんです。

自分が思いもしなかった目線を、変な人たちは教えてくれます。それは自分の世界を変えてくれることと同じだと、僕は思っていて、彼らみたいな人たちに会えば会うほど自分の世界と価値観は拡がっていきます。

僕はいろんな変な人に会ってきましたが、特にクリエイターや生産者といった作り手さんの世界観がとても好きでした。彼らはなにかしらの『モノ』にとことん向き合っていて、四六時中考え、自分なりの正解を日々さがし続けています。

この『モノ』と向き合い続けた時間の果てに見つけた価値観は、もはや哲学で、その哲学を再び『モノ』に彼らは落とし込んでいます。つまり、モノにはそんな人たちの哲学が込められているんです。

ある青森旅行に行った日でした。お土産コーナーに並んでる商品を何気なく眺めていて、ふと思いました。

「この工芸品、なんでこんなに高いんやろう。」

この棚に並んでいる工芸品から得られる情報は、工芸品の見た目と値段だけ。青森のどういう伝統産業で、どういう人が作っていて、どういう想いが込められているのか。それが全然分からなかったんです。結局、僕はその工芸品を購入することはありませんでした。

この出来事をきっかけに僕は、あることをずっと考えています。それは、「どうすれば、商品を作っている人に出会えるのか」ということです。惚れぼれするような商品は、それだけで確かにみんなを魅了する力があるでしょう。でも僕は、その商品が良いものであればあるほど、『どんな人がどんな気持ちで作っているのか』が知りたいんです。

素敵な商品を作っている人が、素敵だったら、もう最高の買い物だと思いませんか?僕はそういう買い物がしたいんです。『モノ』を通して、作り手さんの哲学に触れて、自分の世界を拡げて欲しいんです。

今でこそ、付加価値として作り手さんをプロモーションする物販店は増えてきました。そういう試みは本当に素敵だと思いますし、もっともっと作り手さんを僕らのもとへ届けて欲しいです。

ただ僕はもっと欲深くて、できることならやっぱり直接会って話を聞きたい。できることなら、製作現場で作っているところを見ながら、話が聞きたいんです。

きれいに加工された情報を受け取るだけじゃ、もの足りないんです。やっぱりこっちからも質問したいし、その人のもっと人間的な一面を感じたかったりします。

■そんなこんなで、食のセレクトショップをやってみました。

こういう個人的な欲望と、同じことを思ってる人は必ずいるはず!という根拠のない自信のもと、食のセレクトショップカフェを始めることにしました。

僕が素敵だと思ったひとの商品を仕入れて、僕が代弁者となって作り手さんの想いを伝えるお店です。ときには作り手さんとワークショップを企画し、お客さんと直接繋がれる機会を作っていました。

なぜ食に焦点を当てたかというと、僕の興味関心が一番食の部分が強かったからです。飲食店に勤めていたこともあり、そこが代弁者として一番語れることが多いと思ったからです。

食のセレクトショップを運営している間に思ったことは、なかなかモノの向こう側にいる人たちを伝えられない、という歯痒さでした。

商品を見に来てくれたお客さんは、モノが欲しくて買い物に来てくださっているワケです。うちの場合だと、美味しいをモノを求めて来てくださっています。そうなると、第一に話す内容は商品説明になってしまいます。

商品説明をひとしきり終えると、お客さんは満足してくださって商品を購入して頂けます。でも、「ちょっと待って!僕のしたい話はその先なんです!」って、何度なったことか…。商品のその先にある『ヒト』の話は、どうやら店舗販売ではなかなか出来ない、ということが分かってきたんです。

■ひとつの食卓に人々を集めるケータリング

作り手さんをもっとお客さんに繋げることができて、かつ楽しい会話が行き交う良い方法はないのか…。と考えつづけて出来たのが、ケータリング事業でした。

これはある意味、偶然の産物でした。
友人がアート展覧会を企画していて、そのパーティーのケータリングをして欲しい依頼がありました。

どうせなら、銀皿にのっけて出すだけのケータリングじゃなくて、華やかなケータリングをしたいなと思って、食卓のレイアウトまでしっかり考えて挑戦しました。その時のケータリングがこちらです。

画像1

このケータリングをした時に、展覧会に来ていたアーティストとお客さんの会話がすごく華やいでいたことに気付きました。

ここでケータリングに可能性を感じたんです。食卓は、いろんな人たちの交友を深める強い力を持っていたのです。そう確信した僕は、ケータリング事業に力を入れていくことにしました。

ケータリングは自分にとてもよくハマっていました。
お客さんはめちゃくちゃ喜んでくださるし、お客さん同士の交流も深まるし、料理人としてのスキルも活かせるし、すごいクリエイティブな仕事をしている実感もありました。とにかく、すごい楽しかった。

でも、その一方でずっと思っていることがありました。「作り手さんの世界観を伝えられてんのかな?」という想いです。

もちろん、それに対するビジョンはありました。ケータリングというのはイベントに使われることが多いため、そのイベントに来ているクリエイターさんと知り合える機会がわりと多かったりします。

この繋がりを拡げていって、僕主催のイベントとケータリングをしていくことで、作り手さんを伝える場をたくさん作っていこうと思っていました。これは実際に小規模で何回かやっていて、すごい濃厚な会話と繋がりが生まれた成功例もあります。その点で、この計画は間違っていなかったと今も思っています。

ただ、ケータリングが軌道にのってきたことで、イベント企画や作り手さんを伝えるための労力と時間がなくなってしまいました。人々を繋ぐことには成功しましたが、肝心の「作り手さんの世界観を伝える」が手付かずになっていたんです。

ケータリングの可能性は今も感じています。ひとつの食卓を囲って食をともにする空間を提供することは、コミュニケーションの場としてめちゃくちゃすごい力を持っています。

ただ、ケータリングを事業の主軸にしてしまうと、僕が自由に動けなくなってしまいます。あくまでも、僕のやりたいことは作り手さんの世界観を伝えることなんで、そっちに全力をかけてみたいってなったんです。

きっかけはコロナだったのかも知れませんが、これが返って自分の気持ちに正直にさせてくれました。

■モノの裏側の世界を伝えるために、生まれ変わる。

漠然と「誰かの世界観を伝える仕事を生み出したい。」と思いだして、6年そこそこが経ちました。

「食の場って、ひとを結びつける最強のコミュニケーションツールだなぁ。」って思って、食を学ぶためにサラリーマン営業から飲食店に転職して副料理長になったのが3年半ほど。

その後、アルバイトしながら、いろんな現地の農家さんを訪ね、食材における哲学を教えてもらう日々が1年。

実際に、食のセレクトショップカフェとケータリングを経営し始めて1年そこそこ。

そしてまた、それらを手放して新たな挑戦をしていこうと考えています。

とまぁ、これだけ見ると本当に親泣かせな人生を歩んでいます。(本当に申し訳ない。)

ただ、どうしても僕は『モノの裏側いる人たちを伝えたい。』ようです。それは裏を返せば、モノの裏側を一番見たいのは僕なんだと思います。どうやら、それが僕にとっての一番楽しいことのようです。

きっと、そのためだったら、これからも何度でも生まれ変わることを選ぶのでしょう。

■モノの向こう側と繋がることの豊かさ

このモノの裏側を知れば、絶対豊かになれると僕は信じて疑いません。

僕がいつもお世話になってるお茶屋さんがいます。『にほんちゃギャラリーおかむら』という、あつい想いで日々お茶を届けているお茶屋さんです。ぜひ、ブログを読んでみてください。彼もお茶の裏側のひとを伝えようとしている、繋ぐヒトです。

僕は、彼がどういう想いでお茶を販売しているのかを知っています。お茶に込めている彼の人生観も、性格も、彼がどういうところに喜びを持つのかも、商売の苦労も、彼の家族も、僕は知っています。

また、彼の仕入先のお茶農家さんのことも知っています。お茶農家さんがどういう人で、どういう所でお茶を育てていて、どういう美味しいを届けたくて、どういう苦労をしているのかも、僕は知っています。

彼が届けてくれるお茶の裏側の世界を僕は知っているんです。こうなると、僕にとってそのお茶は、もうただのお茶ではありません。

もしかしたら彼のお茶以外に、もっと美味しいお茶はあるのかも知れません。でも、そんなことは最早どうでもいいんです。僕にとって彼のお茶は、美味しいを超えた『かけがえのないもの』なんです。

もちろん、彼のお茶がそこまで惚れさせてくれるほど美味しいのは、言うまでもありません。ただ、このようにお茶の向こう側の世界と繋がると、お茶を飲むという行為そのものが変わってきます。

それは『感謝する』なのかも知れませんし、『応援する』なのかも知れません。もしかしたら、『思い出』なのかも知れません。

ただ言えることは、ただの消費としてお茶を飲むという形から大きく変わって、何かしらの意味や豊かさを生みだす行動に変わります。

消費という言葉は、『使ってなくすこと』を意味しています。彼のお茶を飲むことが、このような意味や豊かさを生みだすとしたら、それはもう消費ではありません。

お茶が嗜好品だとしたら、これほど最高な嗜好品は他にないと僕は思っています。

だから僕は、『モノ』の向こう側にある世界にお客さんを連れていきたいのです。それが必ず、豊かさに繋がると信じているんです。

■繋げることに全力で挑戦する

コロナで自粛している間、
「モノの向こう側の世界を伝えるために、自分は全力をかけてきたのか」と、ふと立ち止まって考えました。答えはNOでした。

日々の忙しさにかまけて、どんな人たちがいるのかを探索することもせず、どういう哲学で商品と向き合っているのか知ろうとしてきませんでした。そして、すでに知っている作り手さんのことを、全力で発信することもしてきませんでした。

僕は原点に立ち戻って、このことに全力で向き合おうと決めました。

現地に行って作り手さんと繋がり、哲学を聞き、それを発信する。それをどうすれば良いのかを、試行錯誤することから始めていきます。

必要ならライターのようにもなるし、you tube発信もするでしょう。

ときには、料理人だったスキルを活かして現地の食材を商品開発することで、世に繋げることも出来ると思います。ケータリングのスキルを活かして、テーブルコーディネートも出来るかもしれません。

そして、その中で関わった人たちを発信していきます。

一般的に、食材が何かしらの商品に生まれ変わる場合、さまざまな人たちが関わっています。農家さん、運送屋さん、加工メーカー、商品開発者、デザイナー、小売屋さんなどなど…。

いろんな人たちが繋がって、最終的にモノは商品棚にならんでいます。このモノの向こう側の世界にはどんな人たちの、どんな哲学があるのか、僕にはまだ分かりません。だから、僕は探しに行きます。

それらを発掘して、発信していくことが、僕の新しい使命です。

まだ見ぬ『モノ』の向こう側の世界に皆さんを繋げられるよう、頑張って参ります。

そして、心の豊かさを皆さんに届けられような新たな仕事を生み出していきます。

どうか、これからも宜しくお願いします。

今日は以上になります。
ここまで長い僕の決意表明にお付き合い頂き、本当にありがとうございます。
また宜しくお願いします。


この記事が参加している募集

自己紹介

サポートは現地の生産者さんの訪問や、食材などの産業の購入費や開発などに使わせて頂きます。よろしければサポート頂ければ、すごく嬉しいです!